2人にとって最も思いの強かった『南国土佐を後にして』とどう出会い、それが現在にどうつながっていくのかは『奇跡の歌』本稿に譲ろう。
生前、ペギーさんは門田氏にこう語っていた。
〈「自分では、ただ歌うことが好きで、愛していただけなんです。そういう職業をいただいて、おまけにそういったきっかけというものが折々にあって…。それがみんな、私の人生の後押しをしてくれた歌になってくれたんです。そういう意味では、幸せな歌手だと思います。歌の神さまに愛されてるなって…。実は、ひとつの曲が、ずっとつながってるということを仰ってくださる方は、あなたが初めてでした。でも、そうなんだなと私も思います。ひとつの歌が、次に、次にって、必ずつながっていくんです。
もう戦争のことを語る人がいないですもんね。こういうことを語り継いでいかないといけないでしょうね。うちの主人(根上淳)が大正の生まれで、生きていたら九十いくつです。私も、もしかすると、そういう語り部の一人で、これからも、お話があれば語っていかなきゃなって、今日は思いました。本当にありがとう」〉
はからずもペギーさんの「遺言」も含まれることになった『奇跡の歌』では、ひとつの歌が人びとの心を震わせ、さらに多くの人の心に郷愁と共感を呼び起こし、世代を超えて人々の心の灯となっていく道程が描かれている。門田氏が言う。
「80年近く前に生まれ、姿かたちを変えながら、現代も、多くの影響を与えている歌の物語を追いました。それは、私自身が生まれ育った南国土佐にまつわる歌でした。その間に、実に多くの方々のドラマがあり、取材を通じて、私は何度も、『運命』や『奇跡』、あるいは『縁』という言葉を思い浮かべました。
ペギー葉山さんの思い、そして戦場に散っていった多くの若者、歴史の真実を後世に残そうとがんばる人たち──この作品が、そんな方々の期待に添えるものであることを祈りたいと思います」
ペギーさんが胸に抱いて旅立った『南国土佐を後にして』の譜面は、『奇跡の歌』のカバーにも使われている。