この年の五月に母を交通事故で亡くし、七月場所は負け越し。前頭十二枚目まで番付を落とした多賀竜が、蔵前国技館最後の歴史に残る場所で幕内最高優勝(敢闘賞・技能賞も受賞)するとは誰も想像できなかっただろうけれど、それにしても親方が泣きすぎだ。あれ、このギョロ目の親方どこかで見たな、と相撲雑誌を漁る。
一九六三年九月、右肩の故障による四場所連続休場のあとの土俵生命をかけた場所で全勝優勝を果たした横綱・柏戸が、伊勢ノ海親方(先代柏戸)にあふれる涙をハンカチでぬぐってもらっている。
私はそれまであまり知らなかった柏戸のこと、さらに「柏鵬時代」のもう一人、大鵬のことも気になっていった。大鵬はのちに「自分の弟子からは、幕内最高優勝者が出ていない。柏戸さんには完敗だ」と、現役時代から続く男のバトルと友情をなつかしんでいる。
鏡桜の十両昇進に困っている、との記事をきっかけに名鑑を見て「鏡山親方と勝ノ浦親方と若者頭の伯龍さんと……えっ、生徒二人に先生三人?」と驚いた時に、以前読んでいたそれらが繋がった
多賀竜の優勝を伝える記事に「来年二月の出産もうれしい」と奥様の帯に手を添えている写真があった。あの時お腹にいた子供が竜勢なのか、とニンマリした(竜勢は一九八六年生まれなのでそれは間違いで、脚本家の勉強をしているご長女の方のようだ)。
竜勢が高校を中退して入門した時、部屋の後援者は「入るところ間違えたんじゃ? ジャニーズ事務所に入ればいいのに」と言った。相撲部屋の息子なのに、部屋の盛り上がりを望んでいるはずの後援者から首をかしげられるほど細くてかわいらしくて、相撲向きではなかったのだ。