日本全権として臨んだ小村は、2m近い大男のロシア全権・ウィッテを相手に粘りに粘ってロシアが認めなかった敗北を認めさせて、日本が有利となる条約締結に導いた。
ところが、日露戦争に勝利したと思い込んでいた当時の日本国民は賠償金のない条約締結に不満を抱き、日比谷焼き討ちなどの暴動が発生した。
だが、冷静に考えると当時の日露戦争は幕下と横綱の取組のようなものであり、超大国相手に有利な条約を勝ち取った小村の功績は大きかった。
小藩出身ながら苦学し、格差のなかで立身出世を果たした小村は明治の気骨を代表する人物であった。
【PROFILE】八柏龍紀●秋田県生まれ。慶應義塾大学法学部・文学部卒業。高校教師、大手予備校講師などを経て、現在、京都商工会議所主催「京都検定講座」講師。日本近現代史、日本文化精神史、社会哲学など幅広いテーマで執筆、論評、講演を行う。『戦後史を歩く』(情況出版刊)、『日本の歴史ニュースが面白いほどわかる本』(中経出版刊)など著書多数。近著に『日本人が知らない「天皇と生前退位」』(双葉社刊)がある。
※SAPIO2017年9月号