高知県民なら誰もが知る歌だが、日本兵と戦争、そして戦時下の動物の悲劇にまで繋がる楽曲であることは、あまり知られていない。
7月末に上梓されたばかりのノンフィクション『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(門田隆将著・小学館)はその全てを線で結んだ稀有な一冊だ。同書によれば、もともと『南国土佐を後にして』は第二次大戦中、高知出身者を中心に構成された歩兵隊、通称「鯨部隊」で歌われたものだったという。
遠く中国大陸に進出した鯨部隊の隊員たちが故郷をしのんで歌ったこの歌が、戦後、ペギー葉山さんによって蘇り、200万枚を超えるレコードを売り上げる国民的歌謡曲となったのだ。
同書が特筆すべきは、数奇な歌の運命を描くとともに、鯨部隊を通じて、戦時中の「人間の優しさ」を掘り下げたことにある。その象徴こそが冒頭の豹、「ハチ」だ。
「人間を狂わせるのが戦争の宿命ですが、激しい戦火の中でも、人間本来が持つ優しさを失うことなく戦い抜いた部隊があった。その中心にいたのがハチでした。戦後70年以上が経ち、戦争の記憶が薄れていく現代にあって、両者の絆とその結末を描くことで人々に伝わるものがきっとある。そんな思いで、ハチの生涯を同時に描こうと決めたのです」
著者の門田氏がこう話すように、ハチと鯨部隊の交友は、人間の深い愛情と戦争の悲惨さを、私たちに伝えるものだった。
◆ご飯を噛んで口移しで食べさせた
1941年2月、中国の湖北省陽新県に駐屯していた鯨部隊の成岡正久小隊長のもとに、現地の中国人からある“陳情”があった。
牛頭山と呼ばれる現地の岩山に、3mもの大豹がすみ着き、山ろくの部落を襲っているのだという。大豹の退治を懇願された成岡が部下3名を連れて山に入ると、戦慄の光景が広がっていた。あたりには鳥や獣の死骸だけでなく、人骨と衣類まで散乱していたのだ。
緊張が走る部隊。山を登ると、「ガオーッ」と岩の割れ目の空洞から獣の鳴き声が聞こえてくる。息を潜めて“敵”の出方をうかがう成岡一行が最終的に取った選択は、「焼き討ち」だった。
空洞に燃える木々を投げ入れた成岡。そのとき、煙の向こうから現れたのは、予想外のものだった。
《2匹の豹の赤ちゃんが、ほとんど火が消えた入り口のところに、ヨチヨチと歩いてきた》(『奇跡の歌』より。以下《》内同)