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2017.09.01 07:00  SAPIO

東日本の深刻な医師不足 元凶は「戊辰戦争」にあり

 明治政府は敵方であった東北・関東周辺諸藩の武装解除を徹底した。そのため、例えば越後長岡藩は、当時、単なる港湾都市に過ぎなかった新潟へと中心地を移されている。同様に川越藩、小田原藩などもそれぞれ浦和や大宮、横浜に中心地を移され、藩校など地域の人材育成の歴史は途絶えた。

 さらに、時代が下った1973年に閣議決定された「一県一医大構想」が医学部の偏在に拍車をかけた。この政策の結果、新たに国立の医学部が16設置されたが、北海道・東北・関東の3つに対し、中国・四国・九州には8つの医学部が設置された。

「一県一医大」の建前により、千葉1県よりも人口が少なかった四国には、徳島大学以外に3つの医学部が新設されたが、千葉県には千葉大学があるという理由で新設されなかった。こうした状況は九州や北陸でも同様である。

 武装解除により佐幕諸藩の藩校=人材育成システムを潰した明治新政府であるが、幕藩体制下で育てられた「人材」は活かした。旧幕府が最も力を入れていた医学校・病院である長崎医学所(前述)は新政府に接収され、その人材は長崎大学や京都大学医学部に引き継がれた。しかし、そうした人材は一代限り。藩校という人材育成システムを潰された旧幕府側と、それが残された西軍雄藩とでは大きな「教育格差」が生じることになった。

 明治期の医学部誘致合戦で、政治力のある西軍雄藩が有利だったことは現在の国立医学部の偏在が証明している。特に国立大学では医学部の存在如何によって投下される予算の規模が大きく異なる。そうした予算配分は、医学部以外の教育研究にも影響があるだろう。

 また、地域に高等教育機関があれば、そこを目指し、中学、高校が切磋琢磨し教育レベルは自ずと高まっていくものだ。その意味で、国公立医学部の存在が、地域の教育レベルを左右するとも言える。

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