国民的美少女コンテストの第1回の告知ポスター
日本列島に美少女ブームを巻き起こしたコンテストだが、開始当初から5年間は、逆風も強かったという。
「12~13歳という低年齢の子たちが中心だったため、世間からは、“何を考えてあんな若い子たちをさらし者にしているんだ”という声もありました。一般の方々に認知してもらうまでには苦労しましたね」(鈴木氏)
その空気が変わってきたのは、スターと呼ばれるような出身者が出てきてから。「米倉、上戸の登場が最も大きな追い風になりました」と鈴木氏は振り返る。興味深いのは、米倉も上戸もグランプリを受賞していない点だ。
「受賞するかどうかは当日のパフォーマンスや調子次第。21人のファイナリストに残った段階で、誰がグランプリを獲ってもおかしくない。もっと言えば、二次審査で落ちて本選に出場できなかった剛力彩芽のように、途中で落ちてもスターになる子はたくさんいます」
ファイナリストは全員、事務所に所属し、定期的にレッスンを受ける。可能性があれば家族と共に上京させ、生活費や兄弟姉妹の学費を事務所が負担するだけでなく、保護者に給料を支払い、家庭でのケアを依頼する手厚い育成方針がとられている。
30年間の歴史の中で特に印象に残っているエピソードを、鈴木氏に尋ねた。
「上戸を見た時、社長(古賀誠一氏)がこう言い切ったのです。この子の人生を俺たちが変えるけど、この子は芸能界を変える、と。私は“社長、疲れていませんか?”と思わず言ってしまいましたが(笑い)、社長は上戸を目にした瞬間、後藤久美子の再来と確信していましたね」
北川氏は、小田茜(当時11歳)の登場に衝撃を受けたと言う。
「ついに小学生がグランプリを獲る時代になったんだと強く印象に残っています」
※週刊ポスト2017年9月8日号