片山:しかし帰さなかった。いえ、日本の世論を考えれば、帰せるような状況ではなかった。
佐藤:その世論の動きを読めなかったのが、田中均の最大のミスだった。外交官が両国からよく見られようとしたら交渉なんてできません。北朝鮮からは植民地主義の反省がないと叩かれ、日本でも北朝鮮の手先だと罵られる。そのぎりぎりのなかで交渉をまとめ上げなければならない。 でも田中にはその覚悟がなかった。約束を履行できなかった責任も取らずに、先頭に立って北朝鮮を叩きはじめた。
片山:小泉訪朝の失敗が今日の日朝関係の混乱を招いたと言えます。万景峰号を入港禁止にしたところで北朝鮮は痛くもかゆくもない。制裁強化というものの、もう制裁するものがない。今後どうすべきか。打つ手がありません。
佐藤:小泉訪朝にはもう1つ大きな失敗がある。1回目の首脳会談で北朝鮮は拉致被害者8人の死亡確認書を提出しました。
しかし書類の中身を確認せずにすぐに受け取ってしまった。確認さえしていれば、なぜ死亡した日時や場所がバラバラなのに死亡確認書を発行した病院が同じなのかなど様々な矛盾点を指摘できた。
会談に同席できる人は限られていますが、同行する荷物運びや連絡役のスタッフ全員を朝鮮語の専門家にしておけば、受け取ったレポートをすぐに6、7等分にして全員で翻訳することができたはずです。
片山:合理的な説明がなければ、受け取らず突き返すという態度を取ることもできた。そうすれば、もっといい回答を引き出せた可能性があったわけですね。