この2日後に、千代の富士は引退会見を開きました。当時はまだ、「故郷に錦を飾る」とか「親の仇を討つ」といったことに日本人が万歳をした時代。1980年の九州場所3日目、大関・貴ノ花は大関候補で日の出の勢いだった千代の富士によって引退に追い込まれましたが、その父の仇を息子が討った形となりました。偶然なのでしょうが、あまりの運命的なシナリオに、見ていて鳥肌が立ちましたね。
その後若貴時代が到来、空前の相撲ブームとなった。千代の富士にとっても最高の引き際だったんじゃないかと思う。小さな昭和の大横綱がタオル片手に涙を流しながら「体力、気力の限界……」と引退していったのも印象的だったが、相手が人気大関・貴ノ花の息子の貴花田だったこともあって、大横綱の引退なのに温かい雰囲気だった。
その後、野球賭博や八百長問題を経て、再び相撲人気になったのも、この若貴時代に相撲を取った親方衆が、若貴時代の相撲を見ていた子供たちを育てたから。そりゃ面白い相撲を取るはずです。
■取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2017年9月29日号