成人してから当時の新聞を読むと、その一番は「栃錦、無気力な負け」とか「コンニチワ相撲と不平の声」と書かれていた。色々大人の事情があったのかもしれない。しかし少なくとも子供心には、きっと力士にしかわからない友情の証だろうと映ったし、私が相撲に興味を持つきっかけとなった一番になった。
かつて住んでいた阿佐ヶ谷には花籠部屋や二子山部屋があって、よく朝稽古を見に行っていたし、貴ノ花は同じ中学の2年後輩。生の相撲は子供の頃からよく見ていた。今の相撲と違って変化することなく、立ち合いではまずお互いぶつかり合っていた。そんな正々堂々とした相撲に戻ってほしいと願う。
※週刊ポスト2017年9月29日号