若乃花一覧

【若乃花】に関するニュースを集めたページです。

新横綱として堂々の活躍を見せる照ノ富士(写真=JMPA)
新横綱・照ノ富士の快進撃に何を思う 生みの師匠・二代目若乃花を直撃
 横綱昇進場所でその地位に相応しい相撲を見せた新横綱・照ノ富士。所属部屋が伊勢ヶ濱部屋であることは広く知られているが、実は2010年12月に入門したのは「間垣部屋」だった。 入門時の四股名は「若三勝」。当時、間垣部屋の師匠だった元横綱・二代目若乃花が大関時代まで名乗った「若三杉」にちなんだ四股名だった。 照ノ富士にとって、2013年3月に間垣部屋の閉鎖で移籍した先の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)が“育ての師匠”にあたり、二代目若乃花は“生みの師匠”になるわけだ。“土俵の鬼”と呼ばれた初代若乃花の弟子としてその四股名を継いだ二代目若乃花は68歳になるが、2013年12月に相撲協会を退職後、消息が伝えられたことはほとんどない。照ノ富士の横綱昇進の際も、“生みの師匠”の祝福コメントが報じられることはなかった。 その二代目若乃花は現在、大阪の高齢者向け住宅に入居している。本誌記者は、照ノ富士の快進撃についてコメントを求めたが──。「オレは照ノ富士のことは関係ないから」 そう言い残すと、それ以上、取材に応じることはなかった。 背景には、照ノ富士の入門当時、間垣部屋が“緊急事態”にあったことが関係していそうだ。若手親方が語る。「間垣親方は2007年に脳出血で倒れて入院。一命を取り留めたが車椅子の生活となった。さらに部屋の関取だった若ノ鵬が2008年8月に大麻問題で解雇され、協会の理事を辞任している。入門する力士はおらず、経済的にも困窮していた。2010年2月の理事選では貴乃花親方と一緒に二所ノ関一門を割って出たが、貴乃花親方の支援を期待した部分もあったでしょう」 そうしたなかで入門したのが照ノ富士だった。「部屋は衰退の一途で、弟子も照ノ富士以外に三段目の力士が2人いるだけ。そのうち1人は車椅子生活の間垣親方の世話のために稽古もできない状況だった。ちゃんこ代にも窮して、お客さんがいない時は鍋料理が出なかったそうです。照ノ富士も素質がありながら幕下で低迷していた」(同前) 2013年3月場所後に間垣部屋は閉鎖。部屋の他の力士らと伊勢ヶ濱部屋に移籍した後に、頭角を現わした経緯があるのだ。「横綱・日馬富士はじめ、安美錦、宝富士、誉富士らタイプの違う関取がいる伊勢ヶ濱部屋に移り、稽古量が増えた。移籍から3場所目に十両昇進。新しい師匠の現役時代にちなんだ『照ノ富士』に四股名を改めると、いきなり十両優勝した。“同郷の先輩”が部屋にいて、それまで一線を画していたモンゴル力士グループとの交流に巻き込まれた面はあるが、その後も2年足らずで三役となり、大関に昇進。間垣部屋閉鎖で飛躍したのは明白でしょう」(ベテラン記者) 二代目若乃花の心中は、複雑なのかもしれない。※週刊ポスト2021年10月8日号
2021.09.27 07:00
週刊ポスト
白鵬(時事通信フォト)
照ノ富士の元師匠の“呪われた年寄株”を白鵬が襲名する日
 大相撲秋場所は新横綱・照ノ富士が昇進場所優勝に向けて突き進む一方、もうひとりの横綱である白鵬は所属する宮城野部屋から新型コロナ感染者が出たことで休場となった。今年7月の名古屋場所では全勝で復活優勝したものの、36歳という年齢もあり現役生活は終盤を迎えていると言っていい。そうしたなか、引退後も協会に残るために必要とされる年寄名跡(年寄株)を巡っては、様々な因縁が渦巻いている。 力士が現役引退後、親方として相撲協会に残るためには105ある年寄株のいずれかを取得しなければならない。元横綱は引退後5年間に限って現役名で協会に残れる特例があるが、その間に年寄株が用意できなければ退職となる。「今年3月の春場所で引退した元横綱・鶴竜は現役名で協会に残っているが、年寄株の取得の算段を立てるのに苦労しているとされる。その一方で白鵬は、引退後は『間垣』株を襲名できる状態だとされます」(担当記者) 今年1月場所の初場所中に雀荘や風俗店に通っていたことが発覚し、退職に追い込まれた先代の時津風親方(元前頭・時津海)が、新たに「時津風」を襲名して部屋を継ぐ元前頭・土佐豊と交換した名跡が「間垣」である。「もともと白鵬は功績著しい元横綱にのみ認められる『一代年寄』になれば年寄株がなくても協会に残れると考えていたが、協会執行部らは否定的で、年寄株が喉から手が出るほど欲しい状態だった。ただ、『間垣』は300年の歴史を持つ伝統ある名跡ではあるものの、関係者の間で“呪われた株”とも囁かれており、そこには不満があるようだ。たしかに、『間垣』は襲名して定年まで勤めあげた親方がほとんどいない、ゲンが悪い年寄株ではある」(ベテラン記者) 16代「間垣」の元小結・清水川は1959年に間垣部屋を創設したが、弟子に恵まれなかったうえに53歳で肝硬変のために亡くなった。17代の元関脇・荒勢は、元横綱・輪島が師匠の花籠部屋で部屋付き親方となったが、33歳の若さでタレントに転身。マルチタレントとして芸能界で活躍したものの、59歳の若さで急性心不全のために亡くなっている。そして18代を襲名したのが、元横綱・二代目若乃花だった。「二代目若乃花は所属する二子山部屋の後継者として、現役中に二子山親方(元横綱・初代若乃花)の長女と結婚した。しかし、1年で離婚して銀座のホステスと再婚。二子山親方の逆鱗に触れて、引退後に襲名する年寄名跡を手に入れられずにいたが、荒勢の退職にあたって『間垣』を手に入れた」(協会関係者) 1983年12月に間垣部屋を興した二代目若乃花は、若闘将、若ノ城、五城楼、大和、若ノ鵬などの関取を育てたが、夫人に先立たれると2007年に脳出血で入院。一命は取り留めたが、車椅子での生活を余儀なくされた。追い打ちを掛けるように2008年に部屋に所属するロシア国籍の若ノ鵬が大麻所持で逮捕されると、協会の理事を辞任。弟子集めもままならず、部屋閉鎖の危機を迎えた。「若ノ鵬の解雇で外国人枠が空いたことで、2010年に入門してきたのがモンゴル出身の照ノ富士だった(当時の四股名は若三勝)。しかし、窮状は打開できず、結局、2013年3月に部屋は閉鎖。所属力士らは伊勢ヶ濱部屋に移籍となり、間垣親方もその部屋付き親方となった。ただ、すでに年寄名跡の権利を売却していたために、相撲協会の公益財団法人移行に伴う年寄名跡証書の提出できず、定年まで5年を残して60歳で退職に追い込まれた」(協会関係者) それ以降も、「間垣」を襲名した元力士の災難は続いた。19代「間垣」は日本へ帰化したモンゴル出身の元小結・時天空。現役中に悪性リンパ腫を患い、襲名からわずか半年後に37歳の若さで亡くなった。20代「間垣」を襲名したのは時津風部屋の元前頭・土佐豊だったが、前述の通り元前頭・時津海の不祥事による退職があり、名跡交換に至っている。 今年7月の名古屋場所千秋楽の結びの一番で、全勝同士でぶつかった白鵬と照ノ富士の一番は、白鵬がなりふり構わず強烈なカチ上げや張り手を繰り出した末に勝利。小手投げを決めた後に雄叫びをあげてガッツポーズした白鵬には、「横綱の品格を欠いている」といった批判が集まった。この後も東西の横綱として因縁の勝負が続くとみられる2人だが、その先では、照ノ富士の“元師匠”を含め、どこか因縁めいたところのある年寄株を白鵬が襲名することになるのか。
2021.09.25 07:00
NEWSポストセブン
貴乃花部屋の歯車はどこで狂ってしまったのか(時事通信フォト)
相次ぐ弟子たちの不祥事 名門「貴乃花部屋」はどこで道を間違えたのか?
【NEWSポストセブンプレミアム記事】 またも、四股名に「貴」がつく力士の不祥事──ガチンコの中のガチンコと言われた師匠である貴乃花親方が協会を去って3年。弟子たちはなぜ、次々と角界から姿を消してゆくことになるのか。貴乃花部屋の歯車は、どこで、どう狂ってしまったのか。稽古量はケタ違い 名古屋場所は横綱・白鵬の復活V、準優勝した照ノ富士の横綱昇進で幕を下ろしたが、千秋楽の2日後、事件は発覚する。十両・貴源治の大麻使用が判明したのだ。 尾車親方(元大関・琴風)の聞き取りに一度は否定した貴源治だったが、尿検査で陽性反応が出た後の再聴取には「路上で大麻たばこを1本吸った」と認め、協会は警視庁に通報。「過去の例からして解雇は免れない」(担当記者)とみられている。 貴源治の入門時の師匠である貴乃花親方が協会を去ったのは2018年9月。横綱・日馬富士が、貴乃花部屋所属の貴ノ岩に暴力を振るった“鳥取事件”を巡り、執行部と激しく対立した末のことだった。 協会内で冷遇された貴乃花親方は弟子たちを移籍させ、自身は退職する道を選んだ。「執行部に頭は下げられないが、弟子の将来を考えて……」という願いが垣間見えたが、その後、元弟子たちは次々と不祥事を起こす。 貴ノ岩は2018年冬巡業で、忘れ物をした付け人を殴ったことが発覚して引退。2019年9月には、貴ノ富士が新弟子に暴力を振るい、「障害者」などと暴言を吐いたことが明らかになった。自主退職を促されると、会見を開いて「処分が重すぎる」と訴える騒動に発展し、最後は引退届を郵送で提出した。 そして今度は、貴ノ富士の双子の弟である貴源治の大麻使用だ。 彼らがかつて所属した「貴乃花部屋」──。 そのルーツは、土俵の鬼といわれた初代若乃花が引退後の1962年に興した二子山部屋にある。「汗が出なくなるまで稽古する」という厳しい指導のもと、2人の横綱を輩出し、初代若乃花の実弟である初代貴ノ花も大関まで昇進した。“角界のプリンス”と呼ばれた初代貴ノ花が、貴乃花親方の父である。引退後の1982年には藤島部屋を興し、後に“若貴ブーム”を巻き起こす2人の息子が入門したのは1988年のことだ。 藤島部屋のおかみだった藤田紀子(当時は花田憲子)さんが振り返る。「息子が入門して大変なことはたくさんありました。親方(初代貴ノ花)も、稽古場で厳しく叱るのはまず我が子と決めていたようだし、おかみとしてのケアも、えこひいきしていると思われないよう、息子以外の力士たちに手厚くなければならなかった。そうしたなか、息子2人は稽古量が違いました。夜中に稽古場で音がするので見に行くと、黙々と四股を踏んでいたこともあった」 兄である三代目若乃花とともに横綱となった貴乃花は、優勝22回を数える「平成の大横綱」となる。2003年に引退すると、その功績から一代年寄を襲名し、「貴乃花親方」となる。翌2004年には父の部屋を継いで「貴乃花部屋」が生まれた。そこからの歩みは、実に浮き沈みの激しいものだった。「この部屋から横綱を出す」 初代貴ノ花の藤島部屋は、1993年に初代若乃花が定年退職したことに伴い、“吸収合併”のかたちで二子山部屋となっていた。「そもそも、この部屋を継ぐのは貴乃花親方ではなかったかもしれない」 そう振り返るのは、当時の後援会幹部だ。「当初、二子山親方は長男の(三代目)若乃花に部屋を継がせたかった。二子山部屋を後世に残し、次男の貴乃花は一代年寄として貴乃花部屋を興せばいいという考えでした。ところが、貴乃花の“洗脳騒動”などもあって、若貴兄弟の仲に亀裂が入り、2000年に若乃花が強引に廃業。貴乃花にすれば、部屋を出て独立するつもりが、自分が継ぐしかなくなってしまった」 思い描いた船出とは違ったが、この頃の貴乃花親方は前を向いていた。2006年には本誌の取材に、「日々手探り状態で指導を続けている」としながらも、今後の夢を聞かれると、「貴乃花部屋から横綱を出すことに尽きます」と高らかに宣言。 そのうえで、「部屋を継いでから5年以内に関取を出すと宣言したのですが、早くも2年が経ちました」というジリジリとした思いも口にした。 結果的に、貴乃花部屋の“関取第一号”は2012年7月場所に十両へ昇進した貴ノ岩。部屋を継いで8年が経っていた。前出の後援会元幹部が語る。「親方自身、中学卒業後に藤島部屋に入門したこともあり、高校に3年間通うくらいならすぐ角界に飛び込んだほうがいいという考えが基本だったと思う。部屋には相撲強豪の埼玉栄(貴景勝)や鳥取城北(貴ノ岩、貴健斗)出身者もいるが、基本的には中卒から預かる。貴源治と貴ノ富士も中卒での入門だった。関取の輩出まで8年かかったのは、そういったこだわりもあったためでしょう」 弟子たちが少しずつ育ち始めるとともに、貴乃花親方は角界の改革にも動き出す。2010年2月の理事選の「貴の乱」だ。「一門を越えた結束が必要」 2年に1度の理事選は、5つある一門が年功序列で事前に候補者を調整する“無投票”が長く続いていた。そうしたなか、貴乃花親方は二所ノ関一門を飛び出し、37歳の若さで理事選に出馬する。「当選ラインに届かないとみられていたが、当時の安治川親方(元幕内・光法)や立浪親方(元小結・旭豊)が一門の意向に反して貴乃花に投票し、当選を果たした」(同前) その余波は大きかった。 無記名投票の“造反者狩り”だ。所属する一門の意向に逆らったことが判明した安治川親方は廃業危機に追い込まれ、本誌の直撃に「辞めたくない。今の一門に残れればいいが……」と絞り出すように答えていた(その後、名跡交換などを経て貴乃花部屋に移籍)。 無傷では進めなかったが、改革には勢いがあった。貴乃花親方は理事選の3か月後にはすでに、「相撲界を変えるには、一門を越えて結束した親方衆の絶対数が必要なんです」と訴えていた(週刊ポスト2010年5月21日号)。 その後も4期連続で理事当選を果たし、2014年には協会が正式に「貴乃花一門」を認める。後に関取となる貴景勝(2014年入門)、貴源治、貴ノ富士(2013年入門)が加わるなど、部屋は活気づいていた。 ただ、そこに少しずつ影が差し始めるのも、この頃のことだった。大鵬と北の湖の死 大きな転機は、2015年11月場所中に北の湖理事長が亡くなったことだ。 部屋の所属力士の大麻使用で一度は辞任した北の湖親方が、理事長に復帰したのは2012年のこと。そのタイミングで貴乃花親方は、大阪場所部長の要職に抜擢される。時の理事長が後ろ盾となったこともあり、「貴シンパの若手親方は一門を越えた新勢力として広がりを見せ、その数は全親方の半数に迫っていた」(協会関係者)とされる。 その北の湖理事長が亡くなり、後任として八角親方(元横綱・北勝海)が理事長に就任。反貴乃花派の一門に支えられて権勢を振るうようになり、潮目は大きく変わった。 前後して、貴乃花親方を支える人たちが亡くなったり、協会を追われたりしたことも大きかった。「貴の乱」での貴乃花親方の集票をサポートした元横綱・大鵬は2013年に亡くなり、2015年6月には貴乃花部屋付きの親方だった元大関・貴ノ浪(当時の音羽山親方)が43歳の若さで急性心不全により死去。貴乃花親方は後ろ盾と部屋の番頭格を失った。「貴の乱の直後に発覚した野球賭博事件で、元関脇・貴闘力(当時の大嶽親方)と大関・琴光喜が解雇されたことも大きい。貴闘力は側近だし、琴光喜も理事選で貴乃花親方に票を投じていた。当時から〝貴シンパだから重い処分になった〟と言われており、貴乃花親方は理事会で琴光喜の処分軽減を進言し、受け入れないなら協会を去ると退職願まで出したが、聞き入れられなかった」(同前) そうして櫛の歯が欠けるように、周囲から人がいなくなっていった。 そして、2017年11月場所前の秋巡業で“鳥取事件”が起きる。 モンゴル出身力士の会合で、日馬富士が貴ノ岩を殴ったことが明らかになると、貴乃花親方は協会の対応を批判。日馬富士は引退するが、貴乃花親方も理事を解任される。 周囲と相談せずに強硬姿勢を貫いたことから、2018年2月の理事選では貴乃花一門が当時の阿武松親方(元幕内・益荒雄)を担ぎ、貴乃花親方は落選。それ以降も、内閣府に告発状を送るなど過激な行動を続けた。 そんななか、弟子による「最初の暴力事件」が起きた。 2018年3月、貴公俊(後の貴ノ富士)が付け人を殴る事件が発覚。暴力を批判しながら、自らの弟子が暴力沙汰を起こし、貴乃花親方は窮地に陥る。協会からは降格処分を受け、6月には貴乃花一門が消滅。その3か月後、協会を退職した。 在職中には「相撲界を去る力士や行司らのセカンドキャリア支援」「地域密着型の部屋運営」など様々な改革を掲げたが、実を結ぶことはなく、弟子たちも恩を仇で返すような不祥事を繰り返した。どこで歯車が狂ったのか。 相撲部屋の運営は、決して簡単ではない。藤田紀子さんは自身の経験からこう振り返る。「稽古場と協会のことは親方の仕事ですが、若い衆の教育、私生活の指導はおかみさんと2人での仕事になる。血気盛んな子供たちですから、一時も目を離せない。厳しい稽古を我慢ができても、私生活の部分では我慢できないことも多い。不満を聞き取るのがおかみさんの仕事で、そのためには24時間一緒に生活しないといけない。これは相撲部屋にとっては大きいと思います」 紀子さんは、「貴乃花部屋の立ち上げ時には親方(初代貴ノ花)と離婚していたので、内情は分からない」とするが、示唆に富む言葉だ。 2004年に部屋を継承した時、中野新橋の部屋にはまだ、先代である初代貴ノ花が暮らしており、貴乃花親方は五反田の自宅からの“通い”で弟子を指導した。先代が亡くなった後も、貴乃花親方だけが中野新橋に住み込み、おかみの景子さんは五反田から部屋に通う生活だった。紀子さんが言う。「貴乃花は先走りすぎて角界を去ることになりましたが、部屋では弟子たちに目が行き届いていなかったのではないでしょうか。そんな言い方しかできません。親方が熱心に相撲道と技術を教えたとしても、その目が届かないところでいろんなことが起きている。みんなヤンチャで、力も有り余っています。誰にでも悪い心はある。親方とおかみさんが二人三脚で、それを出させない環境を作らないといけないんです。その歯車が少し狂えば、いくらでも綻びが出る」相撲部屋“合流”の弊害 貴乃花部屋の消滅後、所属力士は、千賀ノ浦部屋(現・常盤山部屋)に移ったが、この部屋もまた、「所属する弟子が先代(元関脇・舛田山)時代からの弟子と、現親方(元小結・隆三杉)がスカウトしたグループに分かれており、そこに旧貴乃花部屋の力士が加入した」(前出・担当記者)という複雑な事情を抱える。 藤島部屋と二子山部屋の合併を経験している紀子さんはこう言う。「2つの部屋が一緒になるのは大変で、弊害が多い。ずっと一緒にやってきた家族の中に他人が入ってくるわけですから。それまでの環境や相撲への向き合い方が違い、藤島部屋のカラーに染めるのは難しかった。どうしても軋轢が生まれます」 部屋のなかに分断があれば、ストレスや対立関係から不祥事にもつながりやすい。「貴乃花が弟子たちを常盤山部屋に預けたのはやむにやまれぬ事情だろうけど、受け入れる側も大変だったはず」(同前) 常盤山部屋に残る旧貴乃花部屋の関取は、大関・貴景勝と今年1月場所に十両昇進を果たした貴健斗だけ。彼らはこれから、どんな道を歩むのか。※週刊ポスト2021年8月13日号
2021.07.28 16:00
週刊ポスト
初代若乃花(左)の弟・貴ノ花に対する厳しい教え(写真/共同通信社)
初代若乃花 22歳下弟・貴ノ花に「今日から兄でも弟でもない」
 高度成長期のニッポンを牽引した「昭和ヒトケタ」世代。自らの力で前を向き、上を向いて生きていこうとした彼らは、後の世代にどんな教えを残したのか──。(文中一部敬称略) 土俵の鬼と呼ばれた第45代横綱・初代若乃花(2010年没、享年82)は昭和3年生まれ。戦後最軽量横綱(体重105kg)ながら、鍛え上げた足腰で巨漢力士をねじ伏せた。 NHKアナウンサーとして43年間相撲中継を担当してきた昭和5年生まれの杉山邦博が言う。「若乃花さんは、私を含め小さい頃に戦争を体験し、その苦しみを乗り越えた世代の象徴的な方です。父親が傷痍軍人で、北海道・室蘭では敗戦直後に長男として一家を支えた。ろくに学校にも行かず、港で鉄鉱石の荷下ろしをしていました。 入門は18歳のとき。地元にやってきた巡業に飛び入りで参加し、大ノ海(後の師匠=花籠親方)の目に留まった。東京に出てきたときの話は何度も若乃花さんに聞かされました。“杉山君、上野に降り立ったら新宿が見えたんだよ”と。あたり一面が焼け野原だったんですね。当時は我慢するのが当たり前。汗をかいて(稽古を)やめるのはダメで、汗が出なくなるまで70番も80番も稽古した」 引退後は二子山部屋を興し、2横綱、2大関を誕生させる。そのうちの一人が実弟の元大関・貴ノ花だが、10人兄弟の末っ子で、初代若乃花の22歳年下となる。「自分と同じ苦労をさせたくなかった若乃花さんは入門に猛反対しました。お母さんの説得で入門に至りますが、“今日から兄でも弟でもない。師匠と弟子だ”“勝負師は人前で涙を見せるな”と厳しく言いつけた。黙々と稽古に励むという大相撲の大切な部分が伝承されていきました」(杉山) 弟である貴ノ花と結婚した藤田紀子(当時は憲子)さんは、後に藤島部屋、二子山部屋のおかみとして数多くの関取を育てたが「親方(貴ノ花)の稽古指導の厳しさは、先代(初代若乃花)から受け継いだもの」と振り返る。「とにかく稽古を重ねて、“心臓を鍛えないといけない”と話していました。先代の時代は、力士たちが一家を支える大黒柱となるためのガッツがあった。そういう時代に強い力士をたくさん誕生させたのが先代でした。当時は“無理偏にげんこつと書いて兄弟子と読む”と言ったように、どんな無理な注文でも、言うことを聞かないと殴られるのは当たり前でした。 その点、うちの親方は、私が“世間の常識に照らすとおかしい”といったことを言うと、聞く耳を持っていましたね。時代の変化に適応した考え方だったとは思います」 ただ、指導の厳しさでは初代若乃花の精神を受け継いだからこそ、身内である2人の息子(三代目若乃花、貴乃花)を横綱に育て上げられた。「先代のお弟子さんたちは色々と厳しく言われて嫌な思いをしたと思いますが、自分が引退して家族を持ったり、弟子を育てる師匠になったりして、初めてわかることもあったのだと思います。いまだに『二子山会』として先代の弟子たちが集まるそうです。先代の厳しさが信念に裏打ちされたものだったからこそ、思い出深い経験になったのだと思います」(紀子さん)※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号
2021.07.25 07:00
週刊ポスト
相撲界で一大勢力を誇った藤島部屋、その秘密は?(時事通信フォト)
若貴兄弟、貴ノ浪、貴闘力 藤島部屋を最強軍団たらしめた親方の指導力
 昭和の時代には圧倒的な魅力と存在感で他を寄せ付けなかった「最強軍団」がいた。横綱まで上り詰めた若貴兄弟(三代目若乃花、貴乃花)を筆頭に、大関・貴ノ浪、関脇の貴闘力、安芸乃島、豊ノ海などを育て上げ、相撲界で一大勢力を誇った藤島部屋。 厳しい稽古とガチンコ相撲で『藤島軍団』を築き上げたのは、「角界のプリンス」と呼ばれた元大関・貴ノ花だった。 細身の体ながら強靱な足腰の粘りで巨漢力士をなぎ倒し、端正なマスクで絶大な人気を誇ったが、ケガと内臓疾患に泣かされて横綱になれないまま1981年1月に現役を引退。 翌年、実兄である元横綱・初代若乃花の二子山部屋から独立し、内弟子の序二段9人、序ノ口3人を連れて東京・中野区に藤島部屋を興した。 43年間大相撲中継を担当した元NHKアナウンサーの杉山邦博氏が語る。「兄であり、師匠でもあった初代若乃花は、自身にも弟子にも厳しい稽古を課した。“汗が出なくなるまで稽古する”と言われたほどで、親方となった貴ノ花も兄の教えを守った。当時、部屋で稽古を見ていた人はあまりの静寂と緊迫に、唾ひとつ飲み込めませんでした。出稽古にも行かず、弟子たちは他の部屋の力士たちと言葉すら交わしてはならないと厳しく指導されていた。勝負の世界に生きる孤高の集団だった」 当時の藤島部屋の稽古量はズバ抜けていた。他の部屋では三番稽古の途中で息が上がると“待った”をかけながら息を整えるが、藤島部屋は“待ったなし”で何十番も仕切り回数を重ねていく。 他の部屋の稽古は朝6時頃に始まり10時には終わるが、藤島部屋では昼まで続く。それでも力士たちはさらに早い時間から自主的な稽古に励んだ。 おかみさんとして藤島部屋を支えた藤田紀子さん(当時は花田憲子さん)はこう話す。「みんな寝静まった深夜に稽古場から物音がして、見に行くと(入門直後の)光司(後の貴乃花)が四股を踏んでいたこともありました。部屋を開いた直後の親方(元・貴ノ花)は“まず心臓を鍛える”と、とにかく稽古の番数を増やしていましたが、やはり2人の兄弟は稽古の量は違っていましたね」 息子が入門したことによる難しさもあった。「稽古場では親方が自分の息子もほかの弟子も平等に指導すればいいのですが、生活面は平等じゃダメなんです。他の力士と同じように扱えば、“えこひいき”していると思われてしまう。だから、預かっている子たちが病気やケガをした時は病院まで車で送っても、我が子の時は病院に連絡だけして、ひとりでタクシーで行かせました。親方もとりわけ厳しく叱ったり、鉄拳を食らわせたりするのは我が子と決めていた。 部屋でイジメなどを見たら教えてほしいと他の力士たちに頼んでいましたが、そういうこともこっそりやらないと“親方の息子が告げ口した”と思われてしまいます。すごく難しかったが、うちの親方自身が若い頃、“師匠の弟”だからとやっかまれて、土俵でのかわいがりや砂を食べさせられるといったイジメを受けていたので、そういうのは絶対になくしたかった。健全なライバル関係があったからこそ、強い関取がたくさん育ったんだと思います」(紀子さん) 最強のガチンコ集団が幕内上位を席巻し、90年代前半の空前の相撲ブームへとつながった。※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.06.02 16:00
週刊ポスト
藤田紀子さんが角界に喝「稽古だけでは強い力士は育たない」
藤田紀子さんが角界に喝「稽古だけでは強い力士は育たない」
 コロナ禍の角界で不祥事が相次いでいる。大関・朝乃山は緊急宣言事態中のキャバクラ通いを週刊文春に報じられ、出場停止などの厳罰に処される見通しだ。本人の自覚の欠如は言うまでもないが、騒動の背景には「相撲部屋」を巡る環境の変化があったとも指摘されている。 朝乃山が所属する高砂部屋では、昨年11月に先代親方(元大関・朝潮)が65歳定年を迎え、元関脇・朝赤龍が「高砂」を襲名した。ただ、元・朝赤龍夫妻は部屋で弟子たちと同居しておらず、近くのマンションから“通い”の状態が続いていた。「部屋の土地・建物は先代である元・朝潮の持ち物のままで、同じ建物で一緒に住んでいるのも先代。こういう“間借り”のスタイルは増えているが、どうしても現在の親方の指導・監督やおかみさんの目配り、気配りが行き届かなくなる」(協会関係者)とされる。 かつて相撲部屋では、親方とおかみさんは父母のように弟子に寄り添い、生活全般にまで目を光らせていたものだ。そうやって力士は公私ともに育てられた。その好例が、角界で一大勢力を築き上げた元大関・貴ノ花の仕切る「藤島部屋」だった。現役引退後、実兄である元横綱・初代若乃花の二子山部屋で部屋付き親方となった元・貴ノ花は、1982年に分家独立。藤島部屋を興した。後に横綱となる実子の三代目若乃花、貴乃花や大関となる貴ノ浪、関脇となる安芸乃島、貴闘力らを育て上げ、1991年5月場所では藤島部屋勢で三賞を独占するなど、一時代を築いた。1993年に初代若乃花が相撲協会を定年退職すると二子山部屋と合併し、関取11人を含む力士47人を抱えるに至った。 おかみさんとして藤島部屋を支えた藤田紀子さん(当時は花田憲子さん)は、当時をこう振り返る。「『藤島』の年寄名跡は、出羽ノ海一門の親方(元前頭・出羽湊)から“貴ノ花が部屋を興すなら”ということで譲っていただいた由緒ある名跡でした。ですから、親方と一緒に“立派な看板に負けないようにたくさん関取を育てよう”と必死でした。稽古は親方が厳しく指導していましたから、それ以外の部分はすべて私の責任と考えていた。 おかみさんとしての仕事は、まさに“24時間勤務”でしたね。夜中に音が聞こえて、階段を駆け下りていくなんてことは、しょっちゅうでした。うちの親方は初代若乃花の弟ということで、兄弟子たちから砂を食べさせられたり、一升瓶を無理やり口にくわえさせられたりと、壮絶なイジメを受けた経験がありました。自分たちの部屋ではそういうことが絶対あってはいけないと考えていた」 当時の藤島部屋は、角界でも図抜けた稽古量で知られていた。そこにはやはり、「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花の影響があったという。NHKのアナウンサーとして43年間大相撲中継を担当し、90歳の現在も東京相撲記者クラブ会友として国技館に足を運んでいる杉山邦博氏はこう言う。「現役横綱時代の初代若乃花は、格下の力士を相手に100番以上の稽古をしていた。格下の力士に稽古をつけることを相撲用語で“あんま”と言います。体をほぐすという意味ですが、初代若乃花の場合はそれを1時間以上続け、その様子は“汗が出なくなるまで稽古する”と表現されました。花籠部屋から独立して二子山部屋を興してからも、厳しい指導で実弟の貴ノ花や後に横綱となる若三杉(二代目若乃花)、隆の里らを育て上げました。貴ノ花は、兄であり師匠である初代若乃花の教えを忠実に守り、厳しい指導で弟子たちを育てていきました」 稽古が厳しいだけに、おかみさんには様々な角度からの目配りが求められる。紀子さんはこう続ける。「とりわけ食事には気を配りました。部屋を興してから5年くらいはちゃんこ番と一緒に自転車に乗って買い出しにも行きましたし、2人の子供たちが入門してからは、子供の食事を作る必要がなくなったので、できるだけ弟子たちと一緒にちゃんこを食べましたね。ちゃんこ場は会話が弾む。そこで若い子と話したり、様子を見ていたりすると部屋で何が起きているかは大体わかるんです。関取の食事から始まり、序ノ口の子供たちが食べ終わるまで座っている。常に私の目が光っているから、下の子が満足な食事ができないということはありませんでした。 本場所中は、午後1時から始まる中継で弟子たちの相撲を見て、勝敗を大学ノートに書いていく。彼らは国技館から帰ってくると挨拶に来るんですが、その時に“もっと攻めないとダメよ”とか“素晴らしい突き押しだったわね”と声を掛けてあげる。ちゃんと自分の相撲を見てくれているとわかると、やっぱり嬉しいみたいですね。一人ひとり性格が違うので、できるだけ合わせて話をしました。相撲部屋は大きな家庭です。そう考えて、弟子を育てていくしかありません。おかみさんの役割として、親方が厳し過ぎたら子供をかばってやることも大切だし、しつけもしないといけない。稽古だけでは強い力士はできないと思います」 そうした“24時間体制のケア”が失われつつあることもまた、角界に迫る静かな危機なのかもしれない。
2021.06.02 07:00
NEWSポストセブン
語り継がれる横綱・栃錦の引き際とは(時事通信フォト)
名横綱の潔い引き際 絶頂期に「桜の花の散るごとく」引退した栃錦
 度重なる引退勧告にもかかわらず土俵にしがみつく横綱がいる。地位や権威に恋々とする人の何と多いことか。一方で角界では、小兵ながら初代若乃花とともに“栃若時代”を築いた横綱・栃錦の引き際が語り継がれている。 1960年3月場所の千秋楽は若乃花との全勝対決で敗北。そして翌5月場所で初日から2連敗すると、すぐに引退を表明したのである。当時35歳。「その年の初場所では14勝1敗で優勝を果たしていた。今では想像もできないような絶頂期にある横綱の潔い引退でした」 元NHKアナウンサーで33年間にわたって大相撲中継を担当した杉山邦博氏は、かつて栃錦自身の口から、その背景を聞いている。「栃錦は、横綱に昇進した時(1954年9月場所後)に師匠の春日野親方(元横綱・栃木山)に言われた言葉が、ずっと自身を支えてきたと繰り返し言っていた。昇進祝いの後、大勢の祝い客が帰ってくつろいでいると、弟弟子に『師匠が呼んでいる』と言われて部屋に行った。師匠は部屋の真ん中に背中を向けて座っていて、振り向きもせずに『今日からは辞めることを考えて過ごせ、桜の花の散るごとく』と一言、他は何も言わなかったそうです。 褒められるものとばかり思っていた栃錦は、当初『なんて冷たい師匠だ』と思ったそうですが、後にこの言葉には、大相撲の伝統を担う横綱の責任、横綱の“あるべき姿”が凝縮されていることに気付く。そのことを毎日感じながら過ごしたと言っていました」 まさに「桜の花の散るごとく」引退した栃錦。引退後は春日野親方を襲名し、横綱・栃ノ海や大関・栃光を育て、1974年には相撲協会理事長に就任した。 もし今、栃錦が理事長だったら、白鵬の進退問題をどう思うだろう。もちろん現役を長く続けることを美学とする考え方もある。その一方で横綱であることの“名誉”を重んじるのではないだろうか。※週刊ポスト2021年5月28日号
2021.05.18 19:00
週刊ポスト
横綱・白鵬が手を出す「間垣株」とは?
引退後を見据え白鵬が手を出す「呪われた間垣株」 相場は2億円
 春場所3日目から休場となり、現役続行の土俵際まで追い詰められた横綱・白鵬だが、“引退後”を巡る事情が一変しつつある。場所直前、親方として協会に残るために必要な「年寄株」の手配に目処が立ったという情報が駆け巡った──。 東京・両国国技館での開催となった春場所は、場所前から荒れに荒れた。 初日を3日後に控えた3月11日、横綱審議委員会から昨年7月場所以降の連続休場を咎められ、史上初の「注意」の決議を受けていた横綱・鶴竜が、またもや休場を表明。「そして、同じ日に関係者を驚かせたのが、横綱・白鵬の年寄株を巡る報道です」(協会関係者) 鶴竜と同様、4場所連続休場中だった白鵬が〈年寄「間垣」取得へ〉(スポーツ報知、3月11日付)と報じられたのだ。 力士が引退後も協会に残るには、105ある「年寄名跡(年寄株)」のいずれかを襲名しなくてはならない。元横綱は引退後も5年間は現役時代の四股名のまま協会に残れる特例があるものの、その期間を過ぎて株がなければ廃業となる。「鶴竜が一昨年亡くなった師匠(元関脇・逆鉾)の『井筒』を受け継ぐのが既定路線なのに対し、白鵬は株が手に入る目処が立っていなかった。そこに『間垣』を取得するという報道が出たのです。通常、報道は“株を取得した”という段階で出るもので、“取得へ”という記事は異例です」(同前) 年寄株は権利を持つ親方が退職しない限り、席が空かない。「間垣」取得が浮上したのは、初場所中の時津風親方(当時、元前頭・時津海)のスキャンダルがあったからだ。 元・時津海は初場所中の雀荘や風俗店への出入りが週刊文春に報じられ、2月に退職に追い込まれた。名門・時津風部屋は、部屋付き親方だった元前頭・土佐豊が継承することになった。「元・土佐豊が名跡交換で『時津風』となり、それにあたって元・時津海との間で交換された株が『間垣』なのです。名跡は協会預かりとなるものの、空き株の権利は元・時津海にある。本来、時津風一門の株が、伊勢ヶ濱一門の白鵬に渡るとは考えにくいが、角界と完全に縁が切れる元・時津海なら、一門外でも好条件で交渉できそうな白鵬に渡しておかしくない」(若手親方) 初日から2連勝していた白鵬だが、2日目の取組後に右膝を気にする素振りを見せると、翌日から休場。場所中に右膝を手術し、次の5月場所も休場するとみられている。「途中休場を含めて6場所連続休場になるから、簡単には決められないはずなのに、あっさりと休んだ。“年寄株が手に入る”という余裕があるからではないか」(同前)相場上昇でも、「資金力が違う」 バブル期には3億円ともいわれる超高額で年寄株が売買されたが、2014年に相撲協会が公益財団法人化する際、売買は禁止となった。しかし、実態としてはいまもカネが動く。協会は結局、前任者への顧問料、指導料などの支払いを認めている。「それに加えて様々なかたちで費用があり、取得の相場は下がって1億円程度といわれていたが、ここにきてまた高額化の動きがある。理由のひとつが、再雇用の増加です。 もともと65歳定年だったのが、2014年から70歳までの再雇用制度が導入され、株の数が足りなくなっているのです。需要が供給を上回り、しかも65歳定年のときより5年分余計に給与や養成費を上乗せしたカネが必要になるため、相場が2億円ほどになっているという話もある」(前出の協会関係者) 白鵬の取得が取り沙汰される「間垣」については、現在、「井筒」の株を借りて時津風部屋の部屋付き親方となっている元関脇・豊ノ島が継承するという情報もあった。二所ノ関一門の親方が言う。「鶴竜が引退すれば、5年以内に『井筒』を襲名することになる。そうしたら、元・豊ノ島は株がなくなって退職です。そんな窮地のなか、同じ時津風部屋で空き名跡が出たのだから、元・豊ノ島が『間垣』を継ぎそうなもの。ただ、近年の高額化で費用が工面できなかった可能性がある。横綱在位が14年近くになり、太いタニマチもいる白鵬なら2億円でも3億円でも出せる。資金力に違いがありすぎる」 年寄株取得には、協会の年寄資格審査委員会の承認を経て、理事会で認められる必要がある。「一門外の白鵬への株流出を阻止する巻き返しがあるのでは」(後援会関係者)との声もあり、状況はなお不透明だが、白鵬の有力タニマチのひとりは「これで(年寄株の手配の)目処が立った」と安堵の言葉を口にした。半年で急死「間垣」を巡って関係者の思惑が渦巻く──その名跡が長年、悲劇を生んできた“因縁の株”であることは興味深い。 直近まで保有していた元前頭・土佐豊は20代目となるが、戦後に「間垣」を継承した親方8人(借株を含む)のうち、定年まで務めた親方はいない。「16代目を襲名した元小結・清水川は、1959年に間垣部屋を興すも弟子に恵まれず閉鎖し、53歳で肝硬変のため亡くなった。17代目は日大卒の元関脇・荒勢。現役時代は“がぶり寄りの荒勢”として鳴らしたものの、『間垣』を継いだ引退後は2年間、花籠部屋付きの親方を務めたあと、元横綱の二代目・若乃花が引退すると、早々に年寄株を譲渡して34歳で廃業した。タレントに転身するも、59歳で急性心不全で急死しています」(ベテラン記者) 二代目若乃花は、現役時代も親方としては苦難の道が続いた。現役中の1980年に師匠である二子山親方(元横綱・初代若乃花)の長女と結婚するも、約1年でスピード離婚。1983年に引退後は間垣部屋を興して協会理事にまでなったが、2007年に54歳で脳出血を発症し、それ以降は車椅子生活となった。「2008年5月場所中には弟子を竹刀で叩く暴行事件を起こし、同年8月には弟子の若ノ鵬が大麻所持の疑いで逮捕されて理事辞任に追い込まれた。最後は公益法人化に際して求められた年寄株の名跡証書が提出できず、60歳で退職した。当時、すでに借金のために株を譲渡していたといわれる」(同前) その後を継いだ時津風部屋の元小結・時天空は、引退から半年後に悪性リンパ腫のために37歳で死去した。「スキャンダルや所有者が病気で亡くなることが多く、“呪われた株”とも呼ばれている」(同前)一代年寄に!? その「間垣」が、言動を問題視されることの多い白鵬に回ってくるというのだから因縁深い。 本来であれば、著しい功績があった横綱には現役時代の四股名のまま親方になれる「一代年寄」の制度がある。過去に認められた大鵬、北の湖、千代の富士(辞退)、貴乃花を数字の上では凌ぐ白鵬だが、「立ち合いのカチ上げなど、品行面で問題ばかりだから認められないだろう」(前出の協会関係者)とみられてきた。「場所前には、年寄株不足もあるし、一代年寄を認めることで白鵬に恩を売り、執行部に反発しないようにするという情報もあった。ただ、今場所の休場には場所後の横審で相当厳しい意見が出る。協会は白鵬についての判断を先延ばしにするだろう」(前出のベテラン記者) 公益財団法人の構成員を決める制度でありながら、カネが動き、組織内の権力闘争に利用されているというのである。 協会に白鵬の「間垣」取得情報について問うたが、回答はなかった。 2011年に協会の公益財団法人化に向けた改革案を答申した「ガバナンスの整備に関する独立委員会」で副座長を務めた慶応大学商学部の中島隆信教授はこう言う。「結局、現時点での構成員が借金してでも年寄株を購入したような人たちばかりなので、自分が手放すときは売らないと元が取れないという悪循環に陥っている。 私たち独立委員会が議論をしていた当時、(年寄株の)金銭的な取引は望ましくなく、協会が適切な人に渡していくべきだと答申しました。しかし、10年経っても本質的な部分は何も変わっていない」 休場ばかりで延命を図る白鵬が協会に残れるのか。背後には様々な思惑が蠢いている。※週刊ポスト2021年4月2日号
2021.03.23 11:00
週刊ポスト
曙、小錦、朝青龍、白鵬らヒール役になった外国人力士たち
曙、小錦、朝青龍、白鵬らヒール役になった外国人力士たち
 プロスポーツでは「試合に勝つ選手が人気者」であることが常だが、他の追随を許さない強さ故に、ファンからの声援は少なく、珍しく敗れたときは相手に大歓声が送られる者が出現する。だが、大相撲の世界では、強すぎてヒール扱いされる力士が必ずいる。 貴乃花、若乃花(三代目)、魁皇らと同じ1988年初土俵の曙。優勝11回、横綱通算432勝はライバル・貴乃花をしのぐ。ハワイ出身の外国人初の横綱で、初土俵から30場所での横綱昇進は貴乃花より11場所も早かった。「貴乃花との対戦成績は21勝21敗と五分だが、若貴兄弟との巴戦(1993年7月場所)では、長いリーチを生かした突っ張りで2人を秒殺。瞬間最高視聴率66.7%が証明するように兄弟対決は国民の夢だったが、それを曙は2連勝で打ち砕いた」(相撲担当記者) その巨体で日本人力士を跳ね返したハワイ出身の先輩・小錦は、「相撲はケンカ」と発言し、“黒船来襲”と騒がれた。大関として3場所で2回優勝し、優勝同点も2回経験したが、「連続優勝」の内規が厳格に適用され、横綱昇進を果たせず、人種差別問題にも発展した。 実力も、トラブルメーカーとしても規格外だったのは、モンゴル出身で初の横綱・朝青龍。歴代4位の25回の優勝を誇るが、不祥事により29歳で引退に追い込まれている。史上最長タイの7連覇の記録もあるほどの実力者だった。「張り差しやけたぐりを繰り出しては批判され、壊し屋としても有名だった。2007年3月場所での稀勢の里との一番では、張り手の応酬の末に、送り投げで土俵中央に転がし、その後にひざ蹴りを見舞って問題になった。稽古場では若い衆に吊り落としやヘッドロックなどのプロレス技をかけることで知られていた」(相撲担当記者) 歴代最多となる通算43回の優勝を誇る白鵬も、横綱審議委員会からの批判がありながら、立ち合いでカチ上げを繰り返すなど、品格を理由に「引退後の一代年寄襲名は難しいかもしれない」(同前)といわれている。ほかにも優勝インタビューでの「万歳三唱」「三本締め」などでも物議を醸す。※週刊ポスト2020年4月3日号
2020.03.24 16:00
週刊ポスト
北の湖はなぜあそこまで嫌われたのか、その伝説の数々
北の湖はなぜあそこまで嫌われたのか、その伝説の数々
 双葉山、大鵬と並ぶ昭和の大横綱・北の湖。大関を3場所で通過し、21歳2か月という史上最年少での横綱昇進の記録を持つ。横綱在位10年で優勝24回は大鵬に次ぐ当時歴代2位、横綱通算670勝などの記録を残したが、「憎たらしいほど強い」と称された。「稽古場ではちぎっては投げの連続で、本場所でも右上手を取れば盤石。左四つへの巻き替えも機敏で、簡単には負けなかった。強烈なカチ上げで相手を一発で土俵際まで吹き飛ばすと、そのまま土俵下に叩きつける。そしてクルッと体を反転させると、喜ぶ素振りも見せずに引き返していく」(相撲担当記者) その強さと悪態でアンチが増えていった北の湖だが、6年にわたり横綱・輪島と「輪湖時代」を築いた。特に1976~1977年にかけては2人で各5回の優勝を飾り、千秋楽決戦は7回。栃若(栃錦と初代若乃花)や柏鵬(柏戸と大鵬)に並ぶライバル関係を築いたが「戦後最大のヒール」となった大きな理由のひとつは、“角界のプリンス”と呼ばれた貴ノ花の出世を阻んだことにあった。「貴ノ花は、“蔵前の星”と騒がれた元学生横綱の輪島と同時に大関へ昇進し、『貴輪時代』の到来を予感して相撲人気が高まったところに割って入ったのが北の湖だった。 特に人気抜群の貴ノ花を36勝10敗と寄せ付けず、貴ノ花が“万年大関”となる原因となった。日本人の判官びいきもあって、アンチ北の湖が多く誕生。1975年3月場所で貴ノ花が北の湖を優勝決定戦で破って初優勝を決めると、北の湖の独走優勝では1ケタのテレビ視聴率が50%台に跳ね上がった」(相撲ジャーナリスト) その後、二代目若乃花と三重ノ海が横綱に昇進。1977年7月場所から1980年11月場所まで21場所連続で横綱の優勝が続いたが、輪島の衰えとともに北の湖の優勝ばかりになると相撲人気が低迷し始めた。「北の湖は横綱在位63場所と長く綱を張ったが、貴ノ花、二代目若乃花、千代の富士など美形人気力士がいる時代に君臨したことで、ヒール役が定着していった」(同前) 1980年代になり、千代の富士時代に突入。引退後、北の湖は「土俵下に吹っ飛ばした力士に手を貸さなかったのは真剣勝負した相手に失礼だから」と振り返ったが、今も相撲ファンには「強すぎて憎たらしい横綱」と記憶されている。※週刊ポスト2020年4月3日号
2020.03.24 07:00
週刊ポスト
白鵬でも6位なら上位は誰なのか(時事通信フォト)
史上最強の横綱1000人アンケート 白鵬6位、双羽黒15位
 長く続いた白鵬一強の時代が終わりを迎えるのか? 世代交代を担う力士は誰なのか? 春場所(3月8日~)に向けて関心が高まる。振り返れば過去の名横綱たちは、同時代のライバルと鎬を削り、突き上げる世代交代の波と戦いながら、最高位にのぼりつめた。ならば“最強の中の最強”は誰か。読者1000人と各界の好角家たちが選んだ。◆直線の柏戸、曲線の大鵬 1位は圧倒的な支持で大鵬。優勝32回(うち全勝8回)、6連覇2回と圧倒的な記録を残した。「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれた子供の頃の人気者の記憶は、半世紀経っても強く残っているようだ。「少年雑誌の表紙は、ONか大鵬と決まっていた」(65歳自営業) 好角家として知られるコメディアンの大村崑氏(88)も深く頷く。「これまで大勢の力士を見てきましたが、やはり最強は大鵬です。立ち合いでは相手を真っ正面から受け止め、どんな展開になっても負けなかった」 大鵬の連勝記録は歴代4位の45だが、芥川賞作家の高橋三千綱氏(72)は「本当ならもっと連勝していた」と語る。 46連勝が懸かった1969年春場所の戸田との一番。押し込まれた大鵬は、土俵際で際どく突き落とし。軍配は大鵬に上がったが、物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちに。「しかし、翌日のスポーツ新聞には、戸田の足が先に出ている写真が掲載された。“世紀の大誤審”で、翌場所から判定にあたりビデオが参考にされるようになりました」(前出・高橋氏) 名横綱には必ずライバルがいる。大鵬のライバルといえば柏戸(11位)。元NHKの大相撲実況アナウンサーで、現在は東京相撲記者クラブ会友の杉山邦博氏(89)が言う。「私はラジオ中継で“直線の柏戸、曲線の大鵬”と表現しましたが、土俵の丸みを生かすのが大鵬で、一直線に持っていくのが柏戸だった。全盛期の大鵬戦となると互角以上の勝負をしていました」「柏鵬時代」の後に訪れたのが、玉の海(12位)と北の富士(14位)の「北玉時代」。70年初場所で13勝同士で優勝決定戦に臨んだ2人(優勝は北の富士)は、場所後、揃って横綱に推挙された。「玉の海が横綱になった翌年に急逝した(享年27)ときはショックだった。生きていれば北の富士と長く名勝負を見せてくれたはず」(69歳会社役員) 2人の幕内対戦成績は北の富士の22勝21敗とほぼ互角だった。◆北の湖に勝ち越した輪島「北玉」の後に台頭してきたのが、「憎らしいほど強い」と称された北の湖(3位)だ。1974年7月名古屋場所後に21歳2か月の史上最年少で横綱に昇進し、優勝は24回。「滅多に負けないからこそ、負けた時は盛り上がる。先代の貴ノ花が結びの一番で北の湖を寄り切って初優勝した時は興奮した」(61歳会社員) その北の湖と渡りあったのが、元学生横綱の輪島(9位)。“黄金の左腕”から繰り出される下手投げは強烈で、北の湖に23勝21敗と勝ち越している。 2位になった千代の富士は1981年初場所、優勝決定戦でその北の湖を倒して初優勝。この一番が黄金時代を築くきっかけとなった。「小さな体で大きな北の湖の前まわしに食らいくつ姿は、まさにニックネームの“ウルフ(狼)”そのもの。強引に寄りに出た北の湖を上手出し投げで倒して初優勝した時の、国技館の大歓声はすごかった」(58歳会社員) 抜群のスピードとバネの強さを武器に、全盛期には5年間で優勝20回。53連勝も記録した。 同時代に千代の富士とともに綱を張ったのが、双羽黒(15位)と隆の里(20位)。隆の里は糖尿病と闘いながら、苦労の末に30歳で最高位にまで昇りつめ、苦労人の代名詞ともいえるNHK朝ドラ『おしん』にかけて“おしん横綱”と呼ばれた。 対照的だったのが“新人類”と呼ばれた双羽黒。1986年夏場所の優勝決定戦で千代の富士に敗れたが、優勝経験のないまま横綱に昇進。師匠と大喧嘩して仲裁に入った後援会長とおかみさんにケガを追わせて失踪し、廃業。「2m近い(199cm)の恵まれた体で、精進していたら千代の富士にも負けない大横綱になっていたに違いない」(55歳会社員)◆唯一ランクインした「大関」 千代の富士に引退を決意させたのが、貴乃花(4位)だった。 入幕4場所目の1991年夏場所で初対戦。千代の富士が強引に首を押さえ突き落とそうとしたが、足腰の強さで残した貴乃花(当時貴花田)が体を預ける形で寄り切って初金星を上げた。千代の富士に「体力の限界」と言わしめたのはあまりに有名だ。 貴乃花の前に立ちふさがったのが、ハワイ出身で身長203cm、体重235kgの巨漢力士・曙(13位)。この時代は貴乃花の兄で“若貴フィーバー”を巻き起こした若乃花(三代目、17位)、曙と同じハワイ出身の武蔵丸(19位)の4横綱が鎬を削った。「終盤戦で4横綱が星を潰し合い、大関には貴ノ浪、千代大海、出島がいて、三役常連にも魁皇(16位)、琴錦、武双山、栃東ら実力者がひしめいていた。その中で22回優勝した貴乃花は高く評価できます」(前出・高橋氏) 16位に選ばれた魁皇が横綱になれなかったことが、この時代のレベルの高さを物語る。さらに貴乃花は、世代交代の壁としても立ちはだかった。 飛ぶ鳥を落とす勢いの朝青龍(8位)が新大関となった2002年名古屋場所で横綱・貴乃花と対戦するも、上手投げで完敗。思わず朝青龍が「チクショー!」と叫んだ。貴乃花の引退後、白鵬(6位)、日馬富士、鶴竜らが台頭し、モンゴル時代に突入する。 現役で唯一ランクインした白鵬は優勝43回、幕内通算1053勝など数々の歴代記録を塗り替えている。6位に甘んじたことに料理人の神田川敏郎氏(80)は首を傾げる。「白鵬がナンバーワンであることは、数字が物語っている。なぜこの順位なのか、理解できません」◆大鵬が負けるはずがない さらに時代を遡れば、白鵬がいまだに塗り替えることができない唯一の記録である69連勝を戦前に築いた双葉山(5位)の存在がある。 終戦を挟み、「栃若時代」を築いて戦後の大相撲を支えた、“土俵の鬼”若乃花(初代)が7位、“マムシ”栃錦が10位にランクイン。落語家のヨネスケ氏(71)が懐かしむ。「栃錦のスピードある立ち合いから右上手を取っての出し投げは天下一品だった。一方、若乃花は力業で豪快に相手を投げ飛ばす。街頭テレビから、家庭でテレビが見られるようになった時代で、2人はヒーローだったね」 それぞれの時代を象徴する名横綱たちが、もし時空を超えて戦ったら誰が勝つのか──。NHKが昨年8月に放送した「どすこい!夢の大相撲 令和元年AI場所」は大反響を呼んだ。 日本IBMが開発した「どすこいAI」に現役時代のデータを入力。CGで対戦するという企画で、若乃花(初代)や玉の海ら往年の名横綱が甦り、“大将戦”では大鵬、貴乃花、白鵬の3人が巴戦で激突した。結果は白鵬が2勝、貴乃花が1勝1敗、大鵬は2敗。AIは白鵬が“史上最強”と判断した。 アンケートで白鵬を推した前出・神田川氏は、「白鵬は体がひと回り大きく、パワーに勝る。この結果は順当です」と納得の表情だが、多勢を占めたのは、「大鵬が白鵬に負けるはずがない」という声だ。 同番組に出演していた漫画家のやくみつる氏(60)が語る。「AI相撲では白鵬が左からの突き落としで逆転勝ちしましたが、腰の重い大鵬が土俵際で逆転を食らうはずがない。私が見てきたなかでは最強で、北の湖、千代の富士、貴乃花とやっても大鵬が勝ちますよ」 前出・高橋氏も言う。「大鵬は白鵬のようなカチ上げや張り手を使わず、受けて立つ相撲であれだけ強かった。実際に戦ったら、差し身の早い大鵬が左四つに組み止め、すくい投げか上手投げで決めると思う」 この“最強神話”を超える名横綱は、今後現われるのだろうか。※週刊ポスト2020年3月13日号
2020.03.04 07:00
週刊ポスト
舞の海、炎鵬、鷲羽山など大相撲界で奮闘した小兵力士列伝
舞の海、炎鵬、鷲羽山など大相撲界で奮闘した小兵力士列伝
 チャールズ・ダーウィンが適者生存を説いたように、大相撲界で小兵力士は熾烈な生き残りを賭けた闘いを続けてきた。“ちびっこギャング”と呼ばれた鷲羽山は昭和42年、当時の新弟子検査の合格最低基準である身長173cmしかなかった。人間は起きている間に1、2cm縮むと聞いたため、計測の順番待ちの時間は寝ていたという。 6年で辿り着いた新入幕の場所で敢闘賞を受賞。昭和50年九州場所で横綱・北の湖から金星を挙げ、昭和51、52年の2年で技能賞を5度獲得。約34年間NHK大相撲中継の実況を務め、現在も本場所に足を運ぶ杉山邦博氏(89)が振り返る。「前に出ることを信条としながら、多彩な技を駆使して抜群の存在感を示しました。土俵際での播磨投げなど、最後まであきらめない我慢強い力士でした」 小兵ゆえのケガに悩んだ鷲羽山が3年ぶりに休場なしの1年を送った昭和55年、のちに“南海のハブ”と恐れられる旭道山は新弟子検査の前日に大量の餅を頬張り、当日は水をガブ飲みして、合格最低ラインの70kgをクリア。約9年後の平成元年初場所、99kgで幕内へ昇進。一門外にもかかわらず、「休場明けの横綱が大きく見えるように」と北勝海の土俵入りで露払いに抜擢されたほどの小兵だった。「正攻法にぶつかっていくからこそ、時折見せる立ち合いの変化が生きた。闘志満々の相撲で国技館を沸かせました」(杉山氏) 平成5年春場所、立ち合いの張り手一発で久島海を倒した一番は今も語り継がれている。◆いなし技のデメリット 同じ頃、身長171cm、体重96.5kgの舞の海は、猫騙し、八艘跳び、三所攻めなど“技のデパート”の異名を取り、決まり手33は平成11年の引退当時、1位・栃錦(38手)、2位・3代目若乃花(35手)という横綱に次いで歴代3位。押し出しはわずか3番だった(いずれも幕内在位の記録)。平成2年夏場所で、舞の海に角界初黒星を付けた元前頭の大至伸行氏(51)が語る。「稽古場で相手をじっと見て、研究していた姿が印象に残っています。何をしてくるか予想できないタイプなので、対戦相手から恐れられていました」 この頃、200kg超えの小錦や曙、武蔵丸が幕内に名を連ね、舞の海が小結に昇進した平成6年秋場所には幕内平均体重が153kgに。鷲羽山が活躍した昭和50年代前半と比べて約20kgも増加していた。平成8年の名古屋場所で舞の海が小錦との一番で左ヒザ靭帯を損傷したように、力士の大型化は小兵にとってケガと隣り合わせだった。 幕内42人中26人が160kg以上という超大型化が起こり、平均163.0kgまで増えた令和元年夏場所、168cm、99kgの炎鵬が新入幕を果たす。翌場所には技能賞を獲得した。一方、関西学院大学時代から“アクロバット相撲”と評され、期待の高かった175cmの宇良は2年足らずで入幕を果たすもケガに泣かされ、現在は序二段だ。「小兵は相手の力を利用しながら、自分の体勢に持っていく傾向が強い。そのため、引き付けてからのいなし技に失敗すると、突進する相手をまともに受けて危険な状態に陥る。しかし炎鵬は正攻法でぶつかっていくので、ケガの可能性が少ない」(大至氏) 巨漢にも怯まない真っ向勝負で挑む炎鵬は、激しい生存競争に勝ち抜き、新たな歴史にその名を刻むことができるだろうか。※週刊ポスト2019年12月13日号
2019.12.06 07:00
週刊ポスト
横綱が欲しい一門たちの今後は……
元関脇・逆鉾の死去で「横綱・鶴竜」の争奪戦が始まる
 秋場所中の9月17日、元関脇・逆鉾の井筒親方(享年58)が死去した。現役時代は優勝こそなかったものの、三賞は殊勲賞5回、技能賞4回を受賞した人気力士だった。板井圭介氏(元小結・板井、2018年8月に死去)の盟友として知られ、支度部屋ではいつも隣に座り、所属部屋の一門が違うにもかかわらず、板井氏が井筒部屋の朝稽古に出向く姿も頻繁に見受けられた。生前の板井氏は、本誌・週刊ポストの取材に、井筒親方の人柄についてこう話していた。「とにかく几帳面で、自分の部屋には子供の頃から集めていた相撲雑誌と相撲ビデオがきれいに並べてあった。雑誌は発売日の順番に並んでいないと気が済まないし、壁の絵が少しでも曲がっていると寝られないと、付け人を呼び出して直させさせていた。初代若乃花のファンで、『若ノ花物語』のビデオを何百回も繰り返して見ていたね」 父は先代の井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)で息子の三兄弟(長男=元十両・鶴嶺山、次男=元関脇・逆鉾、三男=元関脇・寺尾)が全員関取になった角界のサラブレッド。弟の元関脇・寺尾は、現在は錣山親方として阿炎(小結)ら人気力士を育てている。 井筒親方も、弟子として横綱・鶴竜を育て上げたが、部屋の所属力士は鶴竜を含めて3人。師匠が不在となったため、力士たちは別の部屋に移籍するか、新しい親方が部屋を継承する必要がある。 相撲協会は9月17日の正午に緊急理事会を開き、井筒部屋の力士たちを同じ時津風一門の「鏡山部屋預かり」とすることを決めた。秋場所中は井筒部屋の名称が残り、館内アナウンスなどでも井筒部屋所属の力士として紹介される。正式な移籍先などは場所後に協議することになった。「移籍先として有力視されるのが、実弟が親方を務める錣山部屋です。しかし、錣山部屋は井筒部屋が所属する時津風一門を2017年に割って出て、無所属で貴乃花一門を支援する立ち位置を取った。その後、貴乃花親方の廃業に伴って、二所ノ関一門に合流しています。 部屋間の移籍は一門内で行なわれるのが慣例。特に横綱・鶴竜が所属しているということで、一門外に出すことは考えづらい。関取が所属していれば協会から養成奨励金が支払われるうえ、横綱がいることでタニマチからの祝儀も見込める。大事な『米びつ(角界の隠語で“お金”の意)』ですから、時津風一門が手放さないでしょう」(協会関係者) 時津風一門内での移籍の場合も、行き先はそう簡単には決まらなそうだ。「先代の井筒部屋時代に逆鉾の兄弟子だった現・陸奥親方(元大関・霧島)の部屋に移籍するのが本来なら順当なところだが、逆鉾とは現役時代から手が合わなかったから可能性は低そう。陸奥部屋の部屋付き親方で、同じく逆鉾の兄弟子だった立田山親方(元前頭・薩洲洋)が一時的に井筒部屋を継承するやり方もあるが、横綱が常に出稽古をしていた時津風部屋か関取の多い追手風部屋が有力です」(同前) 一門に横綱がいるかで協会内での親方衆の発言力も変わるという角界。関取たちにとっても同部屋になれば横綱との対戦がなくなる。横綱・鶴竜の移籍先がどこになるか、目が離せない。
2019.09.19 16:00
NEWSポストセブン
元関脇・逆鉾死去で注目 年寄株「井筒」の継承者は?
元関脇・逆鉾死去で注目 年寄株「井筒」の継承者は?
 秋場所中の9月17日、元関脇・逆鉾の井筒親方(享年58)が死去した。関係者の注目を集めているのが年寄株「井筒」の行方だ。力士が引退後に親方として相撲協会に残るためには、105ある年寄株のうちどれかを取得する必要がある。協会関係者がいう。「かつては高額で年寄株が売買されるのが当たり前でした。現役時代に実績を残しても、年寄株を買うための資金を出せる有力タニマチを抱えていないと、年寄として協会に残れなかった。年寄株の相場はバブル時代には5億円まで高騰したとされ、領収書のない“裏のカネ”で支払われるから、過去にはいくつもの事件が起きた。 1996年には元横綱・初代若乃花からの年寄株『二子山』の譲渡にあたり、実弟である元大関・初代貴ノ花が後援会から集めた3億円について、東京国税局から申告漏れが指摘されている。年寄株を持つ親方が亡くなれば、その名跡証書は夫人である女将さんが受け継ぎ、転売相手を探すかたちだったが、年寄株が相続財産として課税されたという話も聞いたことがない」 2014年に相撲協会は公益財団法人に移行し、新法人の定款では年寄名跡は売買が禁止され、協会が一括管理することになったが、実態としてどこまで変わったかは疑問が残っている。「過去に高額な金銭で取得した親方への救済策として、年寄株保有者の後継者任命権や、継承者から顧問料・指導料を受け取ることが認められた。そうなると、指導者の資質を備えているかどうかより、カネを出せる有力タニマチがいるかで、後継者が決められていくことになる。継承者が指導料を支払った場合、年1回の報告義務が課せられ、相撲協会の危機管理委員会で内容の監査をすることになっているが、そもそも指導料の額も決まっていないし、売買と何が違うのか明確でなはない」(同前) 年寄株の数は105しかなく、所有する親方衆の投票によって理事が決まり、その理事たちの互選で理事長が決まる以上、「1票」がどこへいくかは、角界における権力闘争の行方にもかかわってくる。年寄株「井筒」はどうなるのか。若手親方のひとりがいう。「本来なら、部屋の出世頭である横綱・鶴竜が受け継ぐのがいちばん自然だが、モンゴルからの帰化申請はしているものの、日本国籍の取得には至っていなため、協会の規程により、年寄株を所有できない。帰化の手続きが済んでいれば、特例として栃錦(元横綱=のちの春日野理事長)のように力士が親方を兼ねる“二枚鑑札”の可能性もあったが、今の状態だとしばらくは宙に浮くことになる」「井筒」の継承者を巡る水面下の駆け引きが、しばらく続くことになりそうだ。
2019.09.19 07:00
NEWSポストセブン
ここ数年は休場も多い白鵬(時事通信フォト)
大鵬が白鵬に負けたNHK『AI場所』にベテラン親方大荒れ
「歴代最強の横綱」は誰なのか? 相撲ファンなら誰もが気になる論争に答えを出したのが、NHKで放送された『どすこい!夢の大相撲 令和元年AI場所』(8月9日)である。 好角家の有名人らが3チームに分かれ、歴代横綱の中からドラフト形式で各チーム3人を選出。日本IBMが開発した“どすこいAI”に現役時代のデータを入力し、各チームの作戦に応じてCGで対戦するという企画で、初代若乃花―朝青龍(小股すくいで若乃花の勝ち)、北の湖―曙(押し倒しで曙の勝ち)といった時空を超えた“夢の取組”が次々と実現し、多くの相撲ファンを喜ばせた。 が、そんななか“座布団が舞った”のが大将戦である。優勝回数32回の大鵬、22回の貴乃花、そして42回で現役の白鵬という大横綱3人が巴戦で相まみえたが、白鵬が大鵬に突き落とし、貴乃花には上手投げで2連勝したのだ(残りの一番は貴乃花が大鵬を寄り切り)。 番組を見ていたあるベテラン親方は大荒れだったと、部屋の所属力士が明かす。「うちの親方は、“大鵬が得意の両差しになって白鵬に負けるわけがない”と力説していました。貴乃花親方だって得意の右四つから上手を切られて投げられて負けるなんて考えられない。親方はNHKが現役横綱に気を使ったんじゃないかって勘繰っていました」 好角家で知られる芥川賞作家の高橋三千綱氏も、「大鵬の本当の強さを知らない偏差値世代がやっているんでしょうが、時代時代で強さの在り方は違う。ナンセンスですよ」 と納得いかない様子。こうした声に、番組に出演した漫画家のやくみつる氏はどう答えるか。「私は今も大鵬が一番強いと思っていたし負けたのは残念でしたが、相撲ファンが侃々諤々と議論してきた“仮想対決”が、実現するというのは新鮮でいいんじゃないですかね」 大鵬にはぜひ、次の“AI場所”でリベンジを期待したい。※週刊ポスト2019年8月30日号
2019.08.20 16:00
週刊ポスト

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