いまは「河口断橋」と呼ばれるかつての「清城大橋」
朝鮮戦争から64年以上も経ち、観光地化した村では北朝鮮側を見物する遊覧船がほぼ30分ごとに動いている。だが、ここを訪れる観光客はそれほど多くはない。ましてや、さらに上流に向かう客は皆無だ。
しかし村から車で30分の「上河口区」には中国と北朝鮮を結ぶ鉄橋がかかっている。鉄橋は河口景区の清城大橋と同じく、日本統治時代に建設されており、当時の名前は「清水橋」。北朝鮮側にある水豊ダム建設のため、当時の満州国から建設物資や日本人技師らを運ぶために造られた。
◆密貿易の拠点
上河口区の地元住民によると、洪水などで清水橋が損壊したこともあって、鉄橋を使っての両国間の往来は一時途絶えていたが、その後、修復され、いまは不定期ながら、北朝鮮に物資を運搬するため稼働している。
上河口区には上河口駅という無人駅があり、そこから清水橋を通って北朝鮮側の最初の駅は水豊駅だ。朝鮮人民軍兵士が常時、詰めており、警戒の目を光らせている。北朝鮮情勢に詳しい丹東の消息筋は「鉄橋には深夜から未明にかけて、中国の列車が乗り入れて、北朝鮮に物資を運ぶ重要な拠点となっている。中朝の一大密輸拠点であり、中国の朝鮮族を中心とした朝鮮幇(マフィア)がかかわっている」と明かす。
上河口駅から中国内の線路をたどると、中国東北部有数の鉱業と重工業の重要都市でもある本渓に辿り着く。本渓からは遼寧省有数の大都市、瀋陽市とも中国版新幹線である高速鉄道で結ばれている。つまり、清水橋の鉄橋を使えば、大がかりな中朝間の物資のやりとりが可能となる。