だからこそ、武田は、残りの20%のところで自身の味を出そうと腐心しているのだ。たとえば、武田黄門は、必ずしも好々爺には与しない。
「今回の黄門様は、狡さ、甘え、油断といった老いの欠点をわりと持っているんです。その上で、1本通すのが老いの主張と決意なんです」
それはまさに、これまで数々の映画やドラマで高く評価されてきた刑事役の方程式とも重なる。武田の演じる刑事は、単に正義を振りかざすのではなく、どこか少し濁っていて、ときに悪の匂いすらする人物像が多かった。だからこそ人間味があって、人としての深みも浮かび上がってきたのだ。
言うまでもなく、『水戸黄門』は、テレビドラマ化されるずっと前から、日本人に愛されてきた。幕末に講談として広まり、明治末期からは早くも時代劇映画の定番となっていた。武田はその背景をこう分析する。
「黄門様の存在というのは、官僚に対して、ときにものすごく有効ですよね。官僚を叱る老人というのは、憧れの構図として日本人の中で生きているんじゃないでしょうか。老人に宿った正義感は、実は最もまろやかで、若い正義というのは、刃物のように非常に危険なときがあるでしょ」
いま武田は、月曜日から金曜日まで、撮影所のある京都・太秦近くのホテルに投宿している。オフ日は、7月に京都入りしてからの2か月でわずか2日しかなく、まだ坂本龍馬の墓と嵐山を訪ねたにすぎない。