懐にもぐる取り口で首を痛め三段目に転落。その頃同じ追手風部屋に日大の七年後輩にあたる遠藤が入門。川端(大翔丸)・安彦(剣翔)・岩崎(翔猿)など日大の後輩、大栄翔や大翔鵬など平成生まれがグングン伸びていく追手風部屋。若者たちがまとう紋付きや大銀杏など関取の象徴は誰よりも早く下田が手にするはずだった。
風呂で関取の背中を流していると読んで、追手風部屋の関取たちを見かけては「よくも下田先輩に」と、番付一枚違えば虫けら同然の世界だから当然なのにお門違いに思ったりもした。
安彦が幕下五枚目以内で勝ち越しを続けるも十両昇進が決まらなかった二〇一五年、相撲雑誌は「番付運の無さに泣いた」と記事にした。私は複雑な気持ちになった。不運さでは負けない兄弟子がそこにいる。下田のくじけなさを見習い……いや、違う方向を見たほうがいい。
だから首の故障で三場所連続全休し、初土俵から二場所目の自己最高位・幕下西筆頭から約二百二十枚落ち東序二段五七枚目となっていた二〇一六年三月場所限りで引退した時には、正直ホッとした。「若圭翔」の名が書いてあるだろう番付表の下の方を見ないように気を付けることも、下田への思いがねじれて遠藤らに腹を立てることももうない。
幕下付け出し資格の有効期限は、大会で優勝した日から一年間。資格を得たものの大学卒業を優先したため失効し前相撲からスタートした嘉風(三年生時にアマチュア横綱)や常幸龍(二年生時に学生横綱)などは、しっかり実力を発揮し関取になった。