もし明日、死ぬとしたら何を食べたいか──。その問いの答えには、それぞれの生き様が表れる。歴史上の偉人たちは、最後の晩餐に何を食べたのか。
■息子や家臣に“ご馳走”を振る舞った伊達政宗
戦国武将きっての美食家として知られ、「仙台みそ」の考案など食にまつわる逸話の多い伊達政宗。
寛永13年、死期を悟った政宗は息子の秀宗や世話になった者たちに、自ら考えた献立を馳走したという記録が残されている。食文化史研究家の永山久夫氏は言う。
「振る舞われたのは『本膳料理』と呼ばれる供宴膳。煮アワビなど、豪華な内容だったとされています」
政宗が没したのはその6日後だった。
■囚われの石田三成が「ニラ雑炊」を所望したワケ
関ヶ原の戦いで敗れた石田三成。徳川方・田中吉政に捕縛された三成は、最後の食事にニラ雑炊を要望した。
「整腸効果のあるニラと消化によい雑炊で、体力回復を願ったのでしょう。直後に京都・六条河原で斬首されるまで、豊臣方に尽くそうと再起を狙った不屈の精神が見て取れます」(同前)