◆「実心 実言 実行」
不正会計を調査した「第三者委員会」の報告書には、特に深く関与した歴代社長の1人として西田の名前が記され、さらに数十億から百数十億単位のチャレンジ(数字作り)を下に命じる様子も描かれている。
「いい加減なことを言わないでくれ、と(第三者委員会には言いたい)。僕はね、社長になった時、ここに書いてある座右の銘を肝に銘じてやって来た。そういう男ですよ」
西田はそういって部屋を見上げた。そこには中国の古典『呻吟語』を著した明代の儒学者、呂坤(りょこん)の言葉「実心 実言 実行」の言葉が書かれていた。やや興奮したのだろう、言葉に詰まるところもあった西田だったが、こう言葉を継いだ。
「これは中国の儒学者の言葉です。でも、本来の順番は『実言、実行、実心』なんですよ。僕は順番を変えたんだ。本当に心で思っていることを、正しい言葉で表現して、表現したことは、責任を持って実行するということでしょう。実心というのは最初に来なければいけないはずだ、と思う。
同時に僕がわきまえてきたのが、厳然自粛、つまり厳しく自分を粛むということですよ。そうして自分を律して来た男がですよ、ましてあの時(2009年3月期)はリーマン・ショックで会社全体として赤字(約3500億円)が計上される時だった。
そんな時に、100億円や200億円の不正を知っていて、僕がそれを有耶無耶にするなんてことはあり得ません。そんなことは絶対にない。今までの僕の生き方を見てください、と言いたい」
私には、西田の熱弁が、どれも責任逃れのようにしか聞こえなかった。存亡の危機に立たされていた東芝同様、西田も死地をさまよっていたはずだ。もしかしたら、人生を達観したようになっていて、東芝の、自らの蹉跌を冷静に語ってくれるかもしれないなどと奇妙な希望も持っていた。けれども、そうではなかった。
だが、こうした言葉を聞いていても、不思議と怒りは沸いてこなかった。かわって、抱いたのが哀しさだった。
これまで孫正義や三木谷浩史といった経営者を取材してきた。そうしたスター経営者と比べても、西田の知性は遜色なく、その言葉は魅力に溢れたものだった。
単に頭の良さや能力をいっているわけではない。西田がイランの東芝現地法人に採用されたのが1973年。東芝本社の正社員となるのはさらにその2年後、1975年。西田31歳の時だった。大学卒業の新入社員が通例であれば22歳で社会人となるのに比べ、約10年も遅い企業人としてのスタートだった。このインタビューの中で西田に問うたことがあった。
──10年も遅れた中途採用では人事的に不利ではなかったのか?
西田は苦笑を浮かべながらいったものだった。
「そりゃ、ありましたよ。嫌な思いもしたけども……」
これ以上は口をつぐみ言葉を濁した。一周遅れてレースに参戦した西田は、それをバネにしてがむしゃらに働き、次々と前を走るランナー達を追い越していった。卓越した能力はもちろんのこと、加えて西田には、誰しもを圧倒する気力があった。その意味では、西田は「昭和」という時代の臭いのする成り上がり人生を見事に体現した人物だった。