社長に就任すると、「選択と集中」の実践者として、名を馳せた。西田体制下の4年間で、東芝セラミックス、東芝EMI、東芝不動産、銀座東芝ビルなどを次々と売却した。一方で、米原子力事業(WH)を買収し、半導体メモリ事業にも経営資源を惜しみなく注ぎ込んだ。
10年後、前者の米原子力事業が東芝を奈落の底に導き、後者、半導体メモリ事業の売却がその窮地を救ったことを思えば、西田時代の影を現在の東芝にも見て取れるだろう。
米原子力事業の失敗は、東日本大震災以降、世界的に原発需要が冷え込んだことに起因する。そのことについて西田に問うた。
──東日本大震災、そして福島第一原子力発電所の事故が起きなければ、東芝の原子力事業はどうなっていたと思いますか?
西田の答えは意外とあっさりしていた。
「事故が起きなくても原子力事業は同じような問題が起きたんじゃないでしょうか。先延ばしされただけじゃないかな。すべては経営の問題だから」
──3.11後に、どんな打つ手があったのでしょう。
「予測できないのは誰だって予測できなかったわけだから。しかも3.11以前の段階で、世界の原子力事業の状況では、別にWH買収が間違っていたなんて僕は全然思ってないですよ。
ただ問題は、3.11が起こったあと、状況は、ここで大きな変化があるわけだから、それに応じて、じゃあ世界の原子力事業はどうなっていくのかなと(予測しなければいけない)。
例えば中の構造改革をやるとか、人員削減もするとか。これが経営なんですよ。それをなにもしてこなかったっていうことでしょう、結局は」
西田が問題視したのは、WHの経営をいつまで経っても、東芝がグリップできなかったことだった。終盤にさしかかった東芝会長時代、米国にあるWHの工場を視察に行った話を思い返した。
「米国出張の際に、WHの工場に寄ったことがあるんです。最後に会議があって、質問があったらどうぞと言われたので、質問はいっぱいあるよ、と僕は手を挙げました。まず、この場に工場長がいないのはなぜか、と。すると、今日はお休みですと言うんだね。
そこで、どこへ行ってるんだ、この街にいるのかと聞いたら、この街にいると思います、と言う。よし、わかった。呼んでこいと。本社の会長が来てるっていうのにね、この街にいて休暇だなんてとんでもない話でしょう。そいつを呼び戻さなければ俺は会議をやらない、と言いました。
それから30分ぐらい経って来たので、その工場長を入れて、僕が次々と質問していったら、工場長は何も答えられない。おまえは、本当に工場長かと僕は訊いたんだ。工場経営のイロハのイもわかってないじゃないかと。こんなことで工場長が務まるのかと。
そしてダニー(ロデリック元WH会長)に、どうやってこの工場を毎月経営してるんだ、この工場との間でこれを目標にしてやれ、というような取り決めはあるのかと尋ねた。ダニーが、ありませんと言うから、おまえどうやって経営しているのかと厳しく言いました。工場経営が、めちゃめちゃだったんです」
WHを非難する西田に、理想とする経営について訊いた。西田は、自らが社長時代に掲げた大きな目標である「生命・安全、コンプライアンス」について言及した。
「私が口を酸っぱくして言ったのは、コンプライアンスの基本というのは嘘をつかないことだということです。これが企業の原点であり、デモクラシーの原点でもあるんです。日本には嘘も方便なんて悪しき文化があるから、それを清算できずに嘘が満ち満ちている。それじゃダメなんだ。嘘をついていればコンプライアンスは崩れる。コンプライアンスが崩れた企業は崩壊すると何度となく訴え続けました」
コンプライアンスが崩れた企業、つまり「嘘」をついた企業は崩壊すると西田は繰り返してきたという。そんな西田に、いや東芝に降って湧いたように起こったのが不正会計、つまり「嘘の会計報告」疑惑だった。