2009年、サブリーンは15歳で亡くなった。その直前、たくさんの絵と、次の言葉を残した。
「私は死にます。でも、幸せでした」
チョコ募金については「私は死んでしまうけれど、ほかの病気の子どもたちが助かるなら、私はうれしい」と語った。ぼくは、日本で訃報を聞いた。とても悲しかったが、人間はなんと素敵なんだろうとも思った。そして、なぜだか「自由」という言葉を思い出した。
福沢諭吉は、「Free」の日本語として、「自由」という言葉を創作した。自由とは「自らを由とすること」と解釈したのである。
戦争の国に生まれて、貧しさに苦しみ、病気が体を蝕んだ。そんな何重もの苦難でがんじがらめになった人生なのに、ほかの病気の子どものことを考え、自らの信念をよりどころにして、ひたむきに生きた15歳の少女。こういう「自由」の形もあるのだ。
自由を声高に叫ぶ人たちは、自分の自由ばかり主張する「自分ファースト」に陥っていないだろうか。その自由は、自分とは違う相手に対して不寛容で、排他的である。そんなのは、本当の自由ではなく、自分勝手なだけだ。