西部は本書で現政権への名指しは避けつつ、「戦後からの脱却」を唱った保守政治家が「戦後の完成」を今やもたらしたと記すが、そうではなくて、「今」は戦時下の「改革」の「完成」に他ならないと書くべきだった。「近代」を嫌悪しながら近代化を推進する。その「保守」の矛盾を清算出来ないまま粛々と見えない革命が進行し、今や完成されつつある。戦時下を議論からスルーすることで、それが見えなくなる。
本書は西部の最後の書として企画され、幸いにも後書きで気が変わったとのこと。だとすれば、「保守」の側からの徹底した戦時下の清算こそが聞きたい。そこで手を弛めるから、今時の「保守」がつけ上がるのだ。自死など考えず、ずるずると、論じ続けるべきだ。
(※注:この書評は2017年12月末に書かれました)
※週刊ポスト2018年2月9日号