だが、2011年に起こった東日本大震災で状況は一変。震災による消費の冷え込みと風評被害により、2012年に宇都宮は長年守り続けてきた消費量1位の座を、宇都宮に対して「ウチこそが日本一の餃子の街」と長年主張してきた浜松に譲り渡してしまう。
2位に転落したことを機に、鈴木さんは友人らと「1位奪還推進委員会」を結成。餃子の消費量を増やすため、栃木県出身のモデルを「宇都宮餃子消費量日本一奪還アイドル」に起用してポスターや街頭演説で市民に対して消費量拡大を訴えたり、スーパーで特売キャンペーンを行ったりと、なりふり構わない姿勢で日本一奪還を目指した。その甲斐あって、2014年に1度、トップを取り戻した際には、新聞の号外が出るほどのお祭り騒ぎとなった。
しかし、翌年再び浜松に1位を譲ってしまう。再奪還を掲げて、さらに餃子消費量アップの活動を加熱させるのかと思いきや、「日本一奪還推進委員会」は、その年に解散してしまう。鈴木さんが当時を振り返る。
「そもそも、“日本一奪還”を掲げて立ち上がったのは、震災によって失った“日本一”を取り戻すことによって、市民に元気になってほしかったからです。一度はその役目を果たしたわけですから、解散は自然な流れでした。以降は順位に一喜一憂することなく、餃子を地元に根づいた“郷土食”にするという活動をすることに決めました」
その背景にはこんな思いがあった。
「宇都宮市民は、東京へのコンプレックスが強く、自分たちの地域に対する誇りをなかなか言えない。大阪人に“たこ焼きってどこの名物かね?”と聞いたら“大阪に決まってるやろ!”と即答するのに、宮っこに“餃子ってどこの食べ物と思う?”と尋ねると“餃子はどこでも食べられてますから…日本全国のものですよ”と返ってくる。それはちょっと寂しいな、と思いまして…」(鈴木さん)
まずは宇都宮市民が誇りを持って餃子を“郷土食”と言えるようにしたい。それが自然と“日本一奪還”につながるはず。
そのためには日本中の人に「餃子=宇都宮」と再認識してもらうことが近道だと考え、鈴木さんは餃子のブランディングを始めた。
まずはクリップや付箋などの「餃子グッズ」の開発だ。とりわけ人気となったのが、生餃子の質感を再現するために生地選びから拘り抜いた「宇都宮餃子ポーチ」である。「餃子そっくりでかわいすぎる!」とSNSで拡散され、一時は品切れになるほどの売れ行きだった。
『山崎製パン』とコラボして、期間限定で「ランチパック『宇都宮餃子』味」も発売した。