一方で、1967年に休刊した『映画の友』の知名度は依然高く、どこかで使えないかと思っていた矢先でした。こうして、『映画の友』の編集長を務めていた映画評論家の淀川長治さんの承諾を得た上で、1976年に『EIGA NO TOMO』を創刊したのです。ローマ字表記にしたのは淀川さんと『映画の友』のファンに対する仁義みたいなものです。
創刊から1年で隔月刊から月刊化したのは、売れ行きがよかったからです。創刊当初の部数は3万~4万部。出すごとにこの数字が伸びていきました。新しい編集者を雇う余裕がなかったため、業務は『近代映画』のスタッフに手伝ってもらいました。当時、『近代映画』の発売日は毎月21日でしたから、その校了後に、今度は10日発売の『EIGA NO TOMO』の仕事に取り掛かるといった具合でした。
◆カメラマンが張り付いた
スタッフの頑張りもあって『EIGA NO TOMO』は大成功を収めたわけですが、その一方で他社から、いくつも類似誌が創刊されることになりました。しかし、脅威になったものは一誌もありません。
他社と最も違ったのは、ロマンポルノの撮影現場に、常に自社のカメラマンを張り付かせていたことです。『EIGA NO TOMO』のカラーグラビアを彩ったのは近代映画社オリジナルの写真でした。他社は、映画会社からの提供写真で構成せざるを得ません。この点だけでも誌面作りの自由度がまるで違ったといえます。