カラーグラビアのレイアウトにもこだわりました。他のポルノ映画を扱った雑誌が、裸体の上半身でトリミングしていたグラビアが多かったのに対し、『EIGA NO TOMO』では男女の肌が密着している下半身までしっかり掲載しました。それが、男性の感性を揺さぶるものだと知っていたからです。後年、読者からの好評を受けてカラーグラビアのページ数がどんどん増えていきましたが、そのレイアウトとキャッチコピーだけは、私がひとりでずっと担当しました。
ひっそりと商売をやっているつもりだったのに、書店で『月刊プレイボーイ』と並んで置かれることが増え、世間的な認知度も高まっていきました。おかげで、日本雑誌協会や警視庁から何度も呼び出されたのは、懐かしい思い出です。当時はこだわりを尽くして良質な本を作れば売れる時代。創刊から休刊までおよそ15年でしたが、振り返ってみると、とても幸せな時代でした。
取材・文■小野雅彦
※週刊ポスト2018年3月16日号