それから数週間、Aからは電話やメールで数百回も「やりなおそう」などといった連絡が入ったが、すべて拒否。Aが実家に訪ねてきて、自宅の前でリストカットしたり、明け方まで泣き喚いて警察が来ることもあったというが、最終的には弁護士を立て、Aに接近禁止命令が出されたことで、Aとの関係は解消された。
ミホさんは現在、実家で母親と子供と三人で暮らす。Aと暮らしていた時に、昼職とキャバクラの他に、週に二~三回はさらに別の仕事もせざるを得なくなっていたが、それも辞めて、昼職のみの収入で慎ましく生活している。
「一番大切なものは何か。今更ですが、やっと気が付きました。世間体なんかじゃなく、子供や親と、私が元気に暮らせればそれでいい」
警察庁の発表によれば、昨年度、虐待の疑いがあると児童相談所へ通告した18歳未満の子供が6万5,000件を超え、過去最悪を記録したという。これは一昨年から比べると20.7パーセントも増えており、児童や幼児への「虐待」がいかに多いかを示している。一方で、「虐待」への関心が高まったがゆえに、近隣住民が通報したり、児童相談所など当局が積極的に事案に介入していったことの成果であるとも言えよう。ただし、通告事案の被害者である子供たちの多くが、今も虐待を受けているとの報告もある。
ミホさん親子のように、虐待に遭ってもすぐに逃げ出さなかった例は、決して特殊ではない。親にとって子供は、目に入れても痛くない、彼らのためなら身を投げ打っても構わないと思えるほど、尊い存在だ。だが、そんな思いとは裏腹に、子を守る親としての冷静な判断と行動をとれないことがたびたび起きる。
暴力をふるわれ続けると、人間は考える力を失ってゆく。暴力を伴う支配や共依存関係をつくられてしまうと、明らかに子供を危険にさらす環境にあるのに、そこから逃げ出すという考え自体が浮かばなくなる。洗脳されたようになるため、自力だけで脱出するのは難しい。未来ある子供を守るために、第三者による助けはもっと積極的に行われてもよいのではないか。
子を守り育てていくのは親だけではない、といえば古臭い昭和の感覚だと一笑に付されそうだが、理に適っていると思わずにはいられないのだ。