「PTAはGHQから文科省、都道府県、市区町村、自治体、学校校長、保護者と、下へ下へと働きかけて半強制的にできた組織。保護者が入会を拒むことが難しかったんです。“みんなで一緒にやる”ことを重んじる日本特有の文化も『全員参加』の暗黙ルールを後押ししました」(加藤教授)
こうして始まったPTAは、いつの間にか「母親参加」が主流になった。前出の大塚さんが語る。
「家父長制で父親や兄しか子供の保護者と認めなかった戦前の反動もあり、戦後は母親が保護者として積極的にPTA活動に参加するようになりました。高度成長期に突入して『父親は外で仕事、母親は家事育児』との性別役割分担が進むとますます『PTA=母親化』が進みました」
専業主婦が当たり前の時代、平日昼間に開催されるPTA会議に、母親たちは子育てや家事の延長としてこぞって集まった。ベルマークの集計を手作業でせっせと行いながら、井戸端会議的なノリで子供や先生についての情報交換をすることも多かった。
だが、時代は変わった。古きよき時代のPTAが終焉を迎えて、「♯PTAやめたの私だ」がブームになる背景には、女性の社会進出と少子化があると加藤教授は指摘する。
「男女雇用機会均等法の成立以来、女性の社会進出が進みました。同時に少子化が進んで学校の規模が縮小されたので、PTAのなり手が少なくなった。それなのに仕事量は旧態依然として変わらず、役員一人ひとりの負担が重くなる。近年は『地域で子育てをしよう』との目標を掲げる学校が多く、PTAに押しつけられる仕事が増えています。時代が変わったのにPTAが変わらないのであれば、保護者の不満が高まるのは当然です」
いびつな環境下では、人間関係も悪化する。5年前に長女の小学校のPTA役員を引き受けたBさん(41才・塾講師)は、「女性特有の陰湿さが凄まじかった」と打ち明ける。
「どうしても仕事の都合で学校行事を休まなければならないこともありますが、次の会議で必ずやり玉にあげられるんです。『この間のバザーに参加していませんでしたけど、何かあったんですか?』とか。仕事があると伝えているのに、『そういえばBさん、プールの見守り担当の日もお休みされていましたね』『連絡の返信も遅いですよ』と、ここぞとばかりに集中砲火され、心が折れそうになりました」
非効率な仕事があまりに多いことも悩みのタネだった。
「PTA会報誌を毎月出していたのですが、学校行事の写真と解説を載せるだけだし、そもそも誰も読んでいない。こんなものに年間何十万円もの予算が組まれているのはあまりにムダです。誌面作りに追われた時間を返してほしい」(Bさん)
『ある日うっかりPTA』(KADOKAWA)の著者で書評家の杉江松恋さんは2008年から3年間、息子が通う公立小学校のPTA会長を務めた。