◆学生運動に違和感を…
そんな状況を変えようと尽力した女性漫画家の1人が、『風と木の詩』や『地球へ…』などの作品で知られる竹宮惠子さんだ。
竹宮さんがデビューしたのは学生運動が真っ盛りの1967年。しかし竹宮さんは違和感を覚えていた。
「同じ学生として彼らを見ていて、言っていることと行動が伴っていないように思えたんです。とくに自分たちの要求を通すために学校封鎖などを行うのは、子供っぽい駄々のように思えて、同調したくなかった。それよりもまずは目の前の、自分ができることを精一杯やることが大事だと思った。私にとってそれは少女漫画でした」
当時は編集者も男性ばかりで、「女の子の太ももの内側を描いてはいけない」「登場人物をもっと上品に慎ましく」など制約や注文が多かった。
「作家は自分の考えていることを作品を通して読者に伝えたいのに、『女の子はこうあるべき』と男性から押しつけられる。そんな不自由な環境を変えたくて、『幻想はいい加減にしてほしい。私が描きたいもの、そして読者が求めているものはこれなんだ』との思いで『風と木の詩』を描き始めたんです」(竹宮さん)
19世紀フランスの寄宿舎を舞台にして、登場人物たちの「少年愛」をテーマにした『風と木の詩』は一大センセーショナルを巻き起こし、多くの少女たちを熱狂させた。
竹宮さんのように女性の漫画家が自由に表現できるようになった結果、同時代には『ポーの一族』の萩尾望都、『日出処の天子』の山岸涼子、『ベルサイユのばら』の池田理代子ら、女性漫画家による圧倒的な熱量を帯びた壮大なストーリーの少女漫画が次々と世に生まれた。
精神科医の片田珠美さんもこの時代の少女漫画に大きな影響を受けた1人だ。
「新しい価値観を提示して時代を切り拓いてくれた少女漫画に多くの女性が熱中しました。私自身は『ベルサイユのばら』に人生を変えられました。男女雇用機会均等法ができるはるか昔、女性が活躍する場がほとんどなかった時代に、ヒロインのオスカルは男装の麗人として大活躍していた。そのかっこよさに魅了され、フランス留学を志すようになったんです。もしオスカルに出会ってなければ、フランスに行って精神医学を学ぶこともなかったでしょう」
※女性セブン2018年6月14日号