佐藤:経済的に厳しいアフリカや中南米の小国も持たざる国だと言えますが、こうした美学や精神主義が跋扈していない。日本特有のものではないかと思います。
片山:小林秀雄や保田與重郎も美が最終的な判断基準でしょう。政治や経済や科学技術が美学に立脚すると、社会科学的な合理性が超克される。戦争には勝敗についての合理的予想が不可欠と思いますが、そこに美醜という基準が入り込んでしまう。負けても潔ければ美しいからよいではないか、なんて話になる。しかも日本の場合は、「持たざる国」としての身の程をわきまえるにしては、人口が中途半端に多いんですね。
佐藤:そう思います。だから日本は、括弧付きの「持たざる国」なんです。
片山:太平洋を挟んでアメリカがあって、隣が中国で、北にロシアがいる。それなりに「持てる国」とも言えるはずなのに、周囲が大国ぞろいなので、相対的には、どこまで行っても「持たざる国」になる。
佐藤:日本語圏のマーケットだけで、経済発展できるだけの人口がいた。だからガラケーやハイブリッドカーに代表されるように、世界的な潮流とは別に独自の定向進化を続ける。なまじ人口が多いから客観状況を無視した主観的な願望で、物事を決めていく念力主義とも呼べる考え方に陥ってしまったのでしょう。
片山: その念力主義の行き着く先が旧日本軍の玉砕の思想ですね。アッツ島守備隊の司令官は「心臓が止まったら、魂魄を以て敵中に突撃せよ」と訓示しました。
佐藤: なかには石原莞爾のように日本が「持てる国」に成長するまで、長期の戦争をしてはダメだと考える軍人もいた。しかしそんな主張は受け入れられず「持たざる国」のまま戦争に突入してしまった。