加藤:僕は埼玉出身で、父親が軟式野球の審判をしているんです。その影響で、昔から埼玉の野球を見ていて、特に埼玉栄には思い入れが強い。20年前に大島裕行(元西武)を擁して初出場し、2000年のセンバツにも出場した。1976年夏に優勝した桜美林のエースだった松本吉啓監督が退任してからパタッと出られなくなった。
2005年には木村文和(現西武)をエースに埼玉大会の決勝まで進出しましたが、春日部共栄に敗れてしまった。もし、この試合に勝っていたら、また選手が集まるようになって、埼玉は浦和学院と花咲徳栄の二強ではなく、埼玉栄を含む三強時代を迎えていたかもしれない。
天宮:広島商業や松山商業、横浜商業(Y校)など、全国の商業高校や工業高校が甲子園に出られなくなっている。僕は甲子園のデータを集計して分析するのが趣味なんですが、商業・工業が付く学校の平均出場数を年代別にまとめてみたんです。1980年代に14校でしたが、1990年代は9.2校となり、2000年代は8.6校、2010年代は5.5校と減少してきて、昨年にいたっては高岡商業のわずか1校でした。
奇跡のバックホームで有名な、松山商業と熊本工業が対決した1996年の決勝が、最後の公立同士の決勝。この試合を転換期として、私立優位の時代に突入していった。商業・工業高校の決勝なんて、二度とないでしょう。
加藤:中京大中京も昔は中京商業で、東邦も東邦商業だった。現在は商業とか工業の特色を消して、総合学校に一新して生徒を集めているわけですが、公立だとそう簡単には校名を変えられない。結果、高校野球でも時代に取り残されてしまった。
※週刊ポスト2018年8月10日号