音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、芸歴29年の入船亭扇辰が披露した、現代の観客が感情移入しやすい『お初徳兵衛』について解説する。
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勘当された大店の若旦那が船頭になって大失敗する『船徳』は、初代古今亭志ん生(幕末期の名人)作の長編人情噺『お初徳兵衛浮名桟橋』の発端の部分を、明治時代に初代三遊亭圓遊が滑稽噺に改作したもの。「昭和の名人」五代目志ん生は『船徳』ではなく『お初徳兵衛』の発端を一席ものとして演じ、倅の十代目金原亭馬生がそれを継承した。
その『お初徳兵衛』を入船亭扇辰が5月30日の独演会「噺小屋 皐月の独り看板」(国立演芸場)でネタ出ししたので聴きに行った。
『お初徳兵衛』は、現代では馬生門下の五街道雲助が細部に工夫を凝らし、より人情噺らしく磨き上げている。扇辰が演じた『お初徳兵衛』も雲助の型を踏襲したものだった。
道楽が過ぎて勘当された徳兵衛が行き場を失って途方に暮れていると(この運びは『唐茄子屋政談』に似ている)、馴染みの船宿の親方に声を掛けられ、居候することに。
実家が夫婦養子を迎えると聞いて「もう帰る場所がない」と船頭になる決意をする徳兵衛。志ん生・馬生親子はここで『船徳』にある「親方に呼ばれた船頭たちが早合点する」場面を入れて笑わせるが、雲助はそれを省いて人情噺のトーンを維持、『船徳』で描かれた「未熟な徳兵衛が2人連れを乗せて悪戦苦闘したエピソード」を、滑稽味を完全に抜いてサラリと紹介する。扇辰の落ち着いた佇まいと端正な口調が、こうした展開に実によく似合っている。