3年後には界隈で随一の船頭となった徳兵衛。四万六千日、お初という美しい芸者を連れた旦那2人が徳兵衛の客となり、彼らを降ろした後、お初1人を送り届けることに。にわかの大雨で舟を首尾の松に止める。「そこでは濡れるから」と徳兵衛を近くに呼び寄せたお初は、実は幼い頃、徳兵衛に恋をして「芸者になれば若旦那に遊んでもらえる」と思って芸者を志したのだと言う。
切ない恋心を打ち明けるお初、「それは御法度」と拒みながらも、雷鳴轟く中、お初を抱き寄せてしまう徳兵衛……。2人がいい仲になるクライマックス、扇辰は持ち前の繊細な演技力でドラマティックに演じ、爽やかな余韻を残した。
テキストとしては雲助の台本にかなり忠実でありながら、扇辰は、古の江戸の香りを濃厚に漂わせる雲助の骨太な『お初徳兵衛』とは異なる、よりウェットな一席に仕上げていた。「お初が徳兵衛を口説く」場面のきれいさは扇辰ならでは。現代の観客が感情移入しやすいスマートな『お初徳兵衛』だ。芸歴29年の54歳、扇辰の円熟の境地を感じた。
●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。
※週刊ポスト2018年8月10日号