麻原彰晃らの意向を受け、サリン製造に着手したのはオウム随一の化学知識を持つ土屋正実だ。当初は葛藤もあったという土屋だが、やがて大量生産計画が進行する中、警察がオウム施設敷地内からサリンの分解物を発見する。危機感を強めた麻原と幹部らは地下鉄でサリンを撒くことを決定。サリン合成の一歩手前の化合物を利用して急ピッチでサリンを造ることになり、中川は教団ナンバー2に指示され、これに加担する。
トゥーは研究者同士の対話に徹し、中川も誠実に答えるうちに内的変化をもたらしたようだ。彼は、マレーシアでの金正男暗殺事件は神経ガスVXによるものだと、絞首刑の設備のある拘置所から、いち早く指摘している。オウムはVXも製造しており、信者が中毒した際に彼が治療したのだった。
死が迫る中、金正男事件の論文を執筆した中川は、その理由を〈被害者を出したくないのもそうですが、加害者も出て欲しくないと思っています〉と、トゥーに伝えた数日後、死刑が執行された。
※週刊ポスト2018年9月7日号