「本当は自信がないだけやろ?」
西川は何も言えず、うつむくことしかできなかった。
「正直いってムカっとしたけど、まさにその通り。学校も卒業し、プロの音楽家とはほど遠い生活を送っていた自分が、大舞台で勝負するのが怖かったんです。だけど、彼の言葉のおかげで、チャレンジする決心がついた」
腹をくくった西川はその場で言った。
「どうか、やらせてください」
“それなり”に甘んじていた男が、安定を捨て、別天地に一歩踏み出した瞬間だった。以来、彼は仕事の合間をぬって必死に練習し、心臓が口から飛び出そうになりながら当日を迎える。が、ブラッドショー氏ら2人の顔を見た瞬間その気持ちは飛んでいった。
「緊張よりも好奇心が勝ったんです。世界で活躍するピアニストは、どんな練習をしているのか、どんな生活を送っているのか、何を思っているのか…聞いてみたいことがたくさんあったから、拙い英語で矢継ぎ早に質問をぶつけました。通訳の人はびっくりしたでしょうね。質問攻めをするうちに気がついたら自分の演奏時間が来ていました」
興奮状態の中で演奏したショパンの『バラード1番』。聴いた先生は「きみの演奏はユニークでドラマチックだ。だけど、鍵盤の操作の仕方をきみはよく知らない。ニューヨークに来て、レッスンを受けないか」と誘った。
一瞬、わが耳を疑った。
「憧れのニューヨークに行ける。最高峰の指導を受けられる」
と、心は舞い上がった。しかし、同じくらいの不安も心を占めた。言葉も通じない、経済的余裕もない、知り合いも、住まいも何もない異国で一からやっていけるだろうか…。 結局はチャレンジしたい心が勝った。当時24才。先生から借りたピアノ付きの一軒家で新生活がスタートした。
「スピルバーグの映画に出てくるような、いかにもアメリカ式の大きな家に、高価なピアノ。運転手もいたし、バーベキューができる大きな庭もある。全く英語がしゃべれないから勉強するために語学学校にも通ったり、自由の女神や映画『キングコング』の舞台になったエンパイア・ステート・ビルに行ったりもしました。何もかもが満ち足りて刺激的な夢のような生活に、『夢なら覚めないで』と何度思ったことか…」
ピアノのレッスンも実りの多いものだった。
「その頃ぼくは、リストやラフマニノフが作った派手に聴こえる曲を好んで弾いていました。しかし先生からは『早く、うまく弾けるようになる生徒はいっぱいいる。技巧だけでなく表現力を磨きなさい。ゴヘイにしか出せない自分だけの音を見つけなさい』と教わった。そこから自分の音を模索する日々が始まりました」
先生のサポートがあって、渡米して2か月後、全米屈指のリンカーンセンターのホールでソロリサイタルデビューを果たす。1000人もの聴衆を前に演奏し喝采を浴びた。
「『今からピアノを始めたって、絶対にピアニストになんてなられへん』って言われてきたけど、今、こんなところに立ってるやんか。頑張れば、夢は絶対に叶うんや」