「『いろんなきれいな曲を弾けるようになって、私に聴かせてほしい』と言い、ぼくの大好きなショパンの『英雄ポロネーズ』のレコードをよくかけてくれたことを覚えています。『練習しなさい』と言われたことは一度もありませんでした」

 周囲には「今から音大受験は不可能」と言われても、「人の倍、努力すればできる」と信じ、猛練習を自分に課した。その結果、晴れて大阪音楽大学短期大学に入学した。

「夢が叶った瞬間は、意外と冷静でした。練習しながら、合格した姿を何度も想像していたので、『あっ、想像した通りになった』という感じ。それよりも、やっとスタートラインに立てたという気持ちの方が大きかった。短大を卒業したら4年制の音大の3年次に編入したいと思っていたので、次の目標に向けてさらなる練習に励みました」

 しかし、編入試験は3年連続で不合格。

「人生で初めての挫折でした。成人式すら行かず、1日10時間以上練習しても、だめだった。最後の年は結果を知らされたとき、電車の中で人目をはばからずワンワン泣きました。今から思うと、『ミスなく、上手に弾くこと』にこだわりすぎて空回りしていたんだと思います。だけどあの頃は、精一杯だった」

 失意のうちに短大を卒業したあとは、大阪のデパート内の和菓子店に就職した。

「単純に甘いものが好きで、デパートの割引も利くし、接客も嫌いじゃないという理由だけ。始めてみると、従業員の先輩たちもみんないい人で、すごく居心地がよかった」

 ピアノは帰宅後や休日に練習し、たまにバーや歌声喫茶で演奏するくらいだった。

「試験じゃないから、リラックスして楽しく、自分の好きな曲を好きなように弾ける。和菓子の販売の仕事も苦じゃないし、プロとして活動しなくてもいいのかもしれない、そんな風に思うようになりました」

 ピアノから離れたわけでなし、むしろマイペースで弾けて、人前でもそれなりに披露し、拍手ももらえる。

 生活のための収入を確保しなければならないことを考えると、“それなり”に納得できる日々だった。

◆「本当は自信がないだけやろ?」“それなり”から一歩踏み出した一言

 が、そんな西川に転機が訪れる。就職して1年目、24才の年末のことだった。習い始めてからずっと自宅のピアノの調律を依頼している調律師の一言が、彼の心のどこかで眠っていた思いに火をつけた。

「悟平くんのピアノ、内部の金属まで消耗してる。よく練習してるなぁ。そうや、今度、世界的に活躍しているピアニストがニューヨークから来日してリサイタルを開くけど、前座で弾いてみないか」

 図らずもその調律師がリサイタルの関係者と縁があり、前座とはいえ、表舞台に出演する機会に恵まれたのだ。そして、そのピアニストこそ、後に西川の師匠で恩人となるデイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏だった。

 が、本心に反して、西川は「お店の仕事が忙しくて、あまり練習できないから」と、誘いを断ってしまう。すると、調律師は、彼の本音を見抜いたようにこう言った。

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