「1975年『はじめての出来事』で初のオリコンチャート1位を獲得するなどトップスターになっていた淳子に、相澤が『なんでもいいから食べたいもの言ってごらん』と聞いたら、淳子が『ステーキを1人前食べたい』と言ったんです。高いからいつもマネージャーと半分ずつにしていたそうです。感心しましたね」
福田はスカウトの時だけでなく、デビュー後も両親と密に連絡を取った。時間を見つけては実家を訪れ、行けない時は手紙でテレビ出演の日時を伝えた。タレント本人から「どうして私の考えていることがわかるの?」と不思議がられることもあった。
「相澤から、相手の気持ちに寄り添って物事を考えろと教わりました。たとえば、タレントが何も食べてない時は、マネージャーも食事をしてはいけない。人のお腹の空き具合まではわからない。自分が空腹なら、相手もそうだとわかるんです」
1970年代後半、子役だった香坂みゆきをスカウトする。
「彼女は小さい頃から手のかからないしっかり者でしたね。子供ながらに鉛筆をナイフできれいに削って揃えていた。大人になってからも仕事はもちろん、結婚式も全て自分で準備してしまい、彼女の母親を寂しがらせてしまうほどでした」
事務所はその頃、新たなスターを生み出せずにいた。
「5人くらいデビューさせた年もありましたが、なかなか上手くいかない。知人に頼まれて義理で預かる場合もあった」
そんな中、牧村三枝子が渡哲也のカバー曲となる『みちづれ』を発売する。