リョウコ:ただ、母は寂しいとさんざん訴えた挙げ句に「同居してくれればすべて解決するのよ」となる。これはさすがに反射できません。
原:「同居はしない」ということを、お母様と向き合う前提、譲らない条件にします。そこをゆるめてはダメです。
傾聴は相手を甘やかすのではなく“育てる”こと。お母様の精神的な自立を促す作業です。つらい現実が一瞬で改善されるわけではありませんし、本人にも厳しい作業ですが、やってみる価値はあります。
ミホ:私の周りには親とうまくいっている人がたくさんいてうらやましい。散歩や旅行に連れ出して楽しそう。やはり親子はこうあるべきだと思いますが、私にはできない。
原:楽しみや生きがいを持って生きるべきというのは、社会でバリバリ生きている人の発想じゃないかしら。その理想形を、社会が介護家族にも求めるのはおこがましい。事故が起きないよう、防げる病気にならないよう気をつけてあげれば充分。親は親の人生を生きているのですから。
リョウコ:なるほど…。
原:目指すべきは、あるべき介護や親子の姿ではなく、それぞれの親子が心地よい関係で、楽に生きられること。心理療法の分野では「益のある方向が真実」ともいわれます。そのために、親は要介護になっても精神的な自立が大切で、子供はそのかじ取りのための努力が必要ですね。
ミホ・リョウコ:やっぱり子供の努力も必要か(笑い)。
原:そんな意味で、親の介護は子供の成長の一段階と言えるかもしれません。看取りもそう。親は老いと死を、身をもって教えているのです。
ミホ:傾聴、やってみます。母のことは好きになれないと思うけれど、怒りのない関係になれたらうれしいです。
原:好きか嫌いかは深く考えなくていいですよ。ストレスのない関係から、新しい親子関係を築けばいいのです。
リョウコ:たしかに、カウンセラーのつもりで接すれば、気が楽かも!
原:傾聴すると自分も鍛えられます。体当たりせずにうまく逃げたり、いい加減にしたり。それをよしとできる自分になれたら大きな成長ですね。
※女性セブン2018年11月29日・12月6日号