インターネットが普及したことで、メディアの形も大きく変わりつつある。そうした中でマス(大衆)を相手にするメディアはどう変化していくのだろうか。
『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第10回/最終回)
橘:最近ではアメリカの知識人のなかでも、ネットで議論をして何かを生み出すというのは幻想ではないかと言われるようになっています。昔は民主党、共和党それぞれ支持政党が違ってもパーティなどでは楽しく談笑していたのに、今は親の敵みたいに憎み合うようになってしまった。政治的立場のちがいが部族対立(アイデンティティ対立)になったからで、支持政党が異なると、お互い相手のことを“絶対悪”みたいに思ってしまい、対話すらできなくなっている。
中川:共感者を増やすためにネットを使うのは良いことではありますが、自分と合わない人もめちゃくちゃいるということを理解する必要があるのでしょうね。そうなると、ネットをどう使えばいいのか。結局、分かりあえない人がいるということを理解したうえで、共感者とよりつながりを深める方向で使うのがいいのかなとも考えています。
橘:でもそれって難しいんじゃないですか?
中川:共感してくれる人はそれなりに優しくしてくれるわけですよ。相手側から叩かれている時に、「中川さん大丈夫だよ、オレはアンタに共感しているから」と言ってくれます。それは身を守る術としてはあっても良いのかなと。もちろん、敵は絶対味方にならないということを分かった上でのことですが。
橘:「サバーヴィアン化」は日本語だと「郊外化」ですが、アメリカではぜんぜん意味がちがって、ダウンタウンに住んでいた裕福な白人たちの「脱出」のことです。ダウンタウンに貧しい黒人がたくさん移住してきたとき、リベラルの正しい理屈では、新たにやって来たマイノリティの人たちと共生できるコミュニティをつくっていくべきだとなるんでしょうが、実際は白人たちはさっさと郊外に引っ越してしまった。それも車を使わないとアクセスできないところで地価も高いから、形式的には人種差別ではないんだけど、貧しい黒人は近づくことすらできない。ネットの世界も同じようになってきていて、自分たちだけの価値観だけで集まるサバーヴィアンができていくんじゃないかと思います。