佐藤:このねじれが平成のあとの社会にどう影響を与えるか。私は現代における天皇の存在感に注目すべきだと考えています。終戦まで現人神だった天皇は畏怖の対象だった。でもいま天皇は身近な親しみやすい存在でしょう。天皇に対する意識は大きく変わった。
片山:戦前からの連続性で見ていくと、その役割を果たした1つが、靖国神社だと思うのです。日中戦争以降、たくさんの日本人が死んで神になり、靖国神社に祀られた。
戦前の神道思想家の今泉定助は「臣民は死んだら神になって天皇と対等になる。靖国神社は天皇が頭を垂れにくる空間だ」と語った。その意味では、戦前から日本人と神が近づく仕組みができていた。そして人間宣言を経て、さらに天皇が国民に近づいた。
佐藤:天皇と国民の距離の変化を象徴するのが、神前結婚式です。実は神前結婚式は、戦後に定着した比較的新しい慣習です。戦前は親類縁者に承認してもらうために披露宴を行うだけで、神社で挙式することはなかった。
人間宣言の結果、神の前で結婚のお披露目をすることに抵抗がなくなった。だから初詣や七五三の参拝者も戦後の方が増えている。
片山:それに加え、戦中に少年だった世代は強制的に神社を参拝させられていたでしょう。戦後、国家神道のような強面の側面がなくなっても、神社参拝に行く習慣ができていた。そのジェネレーションが、神社と国民の距離を縮めて、いまも影響を与えているのかもしれませんね。
佐藤:強制か、自発か。その違いは大きいですよね。
終戦までは公務員だった神職がそれぞれ金を稼がなければならなくなった。そこで彼らが初詣や七五三などの年中行事や神前結婚式などで、神社を参拝する機会をつくった。これは、すごい仕掛けだと思うんですよ。
その結果、天皇や神道が我々の生活に密着した。天皇が空気のように、いるのがあたり前の存在になったのですから。
【PROFILE】
●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。片山杜秀氏との本誌対談をまとめた『平成史』が発売中。
●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究者。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』。
※SAPIO2019年1・2月号