当時はもちろん勝てると思って試合に臨んでいましたが、20年経って冷静になってみると、PL学園という看板を背負っていたから互角に戦えたものの、どう考えても横浜の方が圧倒的に強かったと思います。この勝利は偶然ではなく、1人で250球を投げ抜いた松坂の実力に裏付けられたものです。その後の決勝戦でノーヒットノーランをやってのけたことが証明しています。
僕は春夏通して松坂から5安打を放ち、「松坂キラー」というありがたい名前をつけてもらいましたが、彼ははっきり言って次元が違いました。だってプロ1年目でいきなり16勝で最多勝ですよ。PLの先輩、片岡篤史さんが初登板の松坂に155キロのストレートで三振に打ち取られ、イチローさんがスライダーに腰を引いた。プロでも打てない球を投げる投手に、高校生が勝てるわけがないですよ。
同時代に野球をしていただけですが、松坂世代と呼ばれることを誇りに思っています。
※週刊ポスト2019年2月1日号