さて本書のハイライトは、リング上の手に汗握る攻防以上に、次戦との間に横たわる残酷な空白や、過酷な減量を通じて彼が覚醒し、失いかけていた記憶や時間を取り戻す過程にある。
そのよすがとなったのが、友人が撮影した過去の自分であり、自室の日照を阻む〈立派な木〉であり、友人と旅先で見た〈巨大な川〉だったりした。〈目の前でながれている川が、自分のみていないときも、死んだあとも生まれるまえもながれている、しかし自分はこんなにも生がきつい。そこへ空が白みはじめ、光が川の一部を鏡にした。おもわず一瞬おお、という声がでる〉
「木とか川とか、自分とは関係なくそこにあり続ける存在が彼にとっては救いになったと思う。スピッツの『さらさら』という曲に”見てない時は自由でいい”という歌詞があるのですが、僕自身、あの詞には物凄く救われた気がしました。
誰も見てくれない時の輝けない自分や過去の消したい自分も丸ごと受容する、信頼のゲームにも繋がると思います。彼が彼なりのボクサー像を見出すように、僕は僕なりの文学を見つけるしかなく、結局はどんな自分も肯定し、信じられるかどうかだと。
そして何物にも定義されないまま漂い続ける主人公の心理を追体験した読者が、それを自分の日常に反映できるような余地や揺らぎのある小説を、僕はできれば書いていきたいんです」