──あなたが1993年に宮澤内閣不信任案を成立させた時との違いはどこにあったか。
小沢:それは、加藤さんの意思の弱さと、(一緒に行動する仲間と)それだけの人間関係をつくってなかったということでしょう。
あのとき、加藤さんが断固、「俺はやるんだ」と言っていれば、少なくとも一緒に行動する宏池会の半分は与党になれたわけです。そうすれば、(一時的に派閥の人数は減っても)また絶対強くなる。いざというときの決断ができない人は事を成せません。
〈加藤の乱では「YKKトリオ」も対応が割れた。加藤と行動をともにした山崎とは対照的に、森派会長でもあった小泉純一郎は「友情より派閥」を選び、反乱切り崩しの先頭に立った。この功績で小泉にチャンスが巡ってくる〉
※文中一部敬称略
●聞き手/武冨薫(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2019年5月17・24日号