「現代においては、食えなくて死ぬことはまずなくなり、仕事はより生活レベルを上げるためにやるものになった。生活レベルを上げる気がなくなれば、仕事でよい結果を出そうというモチベーションが働きにくくなる。かつてみんなが貧しい時代は、みんなが生活レベルをあげようとした。仕事を頑張る目的がみな一致していた。
けれど、いまは生活レベルを上げたい人もいれば、そうでもない人もいる。目的をもって人生を過ごす人にはそうでない人が信じられず、ダメ人間に見えてしまう。仕事を頑張る目的も、その情熱の温度もあまりに違いすぎる。だから、他人の仕事のスタンスが理解できず軋轢が生じる。そうした人間関係が会社経営で一番難しいところ」
周囲から責めを受けやすい吾妻だが、ヒロイン・東山はそこにもやわらかな視線を向ける。
「私たちには給料日がある」
お金を得ることを楽しみに働くのも悪くはない、というのだ。たとえ高尚な目標がなくても、普通に仕事をしてお金を稼ぎ、日々の生活の中から少しでも楽しめる時間を見つけ出せたなら、それでもう生きる理由としては十分だ、と。
人生が死ぬまでの暇つぶしなのだとしたら、お金を得られて、ごくたまに達成感を味わえる仕事は、暇つぶしの手段としては悪くない。私たちは仕事というものを、重大にとらえすぎているのかも──『わたし、定時で帰ります。』は、そんなことさえ考えさせてくれる稀有なドラマである。
●取材・文/岸川貴文(フリーライター)