『鳥のように』にその批判文が収められていると知り、一読してみた。確かに、丸山は支那古典に想像以上に暗かったり、朝鮮戦争の認識が片寄っていたりと、もっともな批判だ。既に保守系の評論家も指摘している通りである。
しかし、同書には「夜明け前」という興味深い一章もあった。
「仮に開国佐幕派が尊王攘夷派を打ち負かしても、明治の天皇制政府より悪かったとも考えられない」「御真影の配布とその礼拝、教育勅語奉読、君が代斉唱などの愚劣な習慣とその強制はすべて明治時代に始まった」「教育勅語の始めの部分など『何だと、ふざけるな』と言いたくなる」
続いて、孟子は革命思想であるから日本では孟子が疎まれたのではないかと考察し、明治維新では「奇妙な天皇の概念を作って国民に強制した」「そんな維新などない方がよかった」と言う。
過激だなあ。さらにこうだ。
「〔一九五九年頃〕東大の教養学部の数学教室で、二十代から五十代の数学教師達数人が天皇制はいつまで続くだろうかと議論していた。いつまでも続けばよいと思っている者はひとりもいなかった」
共産党に読ませてやりたい。でも、共産党は産経新聞が嫌いだ。いや、待てよ、産経の中に工作員が入っていて、丸山真男批判を隠れ蓑に過激な反天皇制論を…って、これじゃ陰謀論か。ともあれ天才数学者志村五郎は興味深かった。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2019年6月7日号