このような労働者たちの動きに共産党は敏感に反応した。党最高指導部が最も恐れていたのは、運動が学生から労働者へ、北京から中国全土へと飛び火し、全国で蜂起が起こることだった。もしそうなれば、共産党政権がもはや「プロレタリアートの党」ではなく、人民から利益をむさぼるだけの単なる支配階級でしかないことが白日の下にさらされ、一党独裁体制崩壊の引き金になる可能性もあったからだ。
5月13日には李鵬首相が自ら首都鋼鉄本社に赴き、陳氏ら労働者代表と対話した。「経済活動の混乱や党・政府幹部の腐敗には厳重に対処する」と約束し、ストライキやデモで生産活動に支障をきたさないよう協力を要請したという。同日には、趙紫陽党総書記も北京市中心部の人民大会堂で、首都鋼鉄などの労働者代表と座談をし、首相と同様の提案を行っている。
しかし、翌16日には首都鋼鉄の労働者7万人がストに突入、北京市内中心部までの大規模なデモを実施するなど労働者による運動は盛り上がりを見せた。17日には他の企業の労働者も加わり、デモ参加者は40万人前後に膨れ上がった。
そんな中、李氏らは18日、正式に中国発の自主労組である「北京工人(労働者)自治連合会」の成立を宣言した。
「北京学生自治連合会と共同で声明を発表し、『今後は学生と労働者が共闘する』と強調した。同時に『5月20日正午から北京の労働者数百万人が参加する24時間のゼネストを敢行する』ことも宣言しました。当時の勢いならば、きっとゼネストは多くの参加者を集め、大きなうねりとなると確信していた」(陳氏)
◆「現在も労働者の怒りはある」
これに慌てたのがトウ小平氏(中央軍事委員会主席)ら共産党最高指導部だ。ゼネスト決行の予定を受け、その直前の20日午前10時に戒厳令を布告したのである。