答えは品川線である。この区間は明治18年(1885)に開通した。当時この一帯は街はずれであり、田畑が広がっていた。つまり、原野に線路を引いたようなものなので、ぜいたくな土地の使い方ができたのである。
その後、東京の市街地化が進み、この区間も市街地に変化していった。しかしそれと同時に需要も急上昇。混雑対策に追われ続けて抜本的な路盤改良を行うことなく今に至っている。つまり、表面こそ近年の改修で原形を留めていないものの、土手や掘割といった構造物自体はこのときの遺構であるといえよう。
御年134歳、明治の土は令和の山手線を支え続けているのである。
●取材・文/コリン堂(早稲田大学鉄道研究会)
●参考文献/電気車研究会編『国鉄電車発達史』(鉄道図書刊行会)、東京鉄道局編『省線電車史綱要』、贄田秀世・鈴木博人・成嶋健一「バックルプレート桁の歴史と形態的特徴について」(土木学会年次学術講演会講演概要集第4部54巻)、松本嘉司『鉄筋コンクリートの歴史・鉄道構造物』(土木学会論文集第426号)、鹿島建設ホームページほか