致死薬「ペントバルビタール」
「そもそも日本は安楽死を議論する土壌が不充分だと思います。死を巡る思考が深まっていない。宗教的な規範によって死生観が定められ、家族で食卓を囲む場でも死を話題にする欧米と違う」
日本では余命宣告がなされるようになったのでさえ、ここ20年の話だ。宮下氏が指摘するように、公に死を語ることさえはばかられる。
だからこそ小島さんの死を受け止めた私たちがすべきことは、安楽死の是非を語ることではなく、まずは、自らや家族が理想とする生と死について語り合い、お互いの人生にどう寄り添えるかを考えることなのではないだろうか。
臨終の場でも、彼女は柔らかな笑みをたたえていた。昨年の取材中も、彼女は終始笑っていた。そのことを問うと、小島さんはこう答えた。
「私がこうして笑っているのは、泣いて過ごしても笑って過ごしても、私たちの病気というのは、結論が一緒だからですよ。だったら、泣いて周りの人を不快にさせるよりも、笑っていた方が、周りもハッピーだし自分もハッピーだなって」
最期まで気遣いの人だった。難病を背負いつつも、いつも笑顔を作っていた。それは家族や友人に対しても、そうだったように思える。
「病を患う前から、夢やプライド、ひとりで生きていくという決意…たくさんのものを背負って生きてきた。病後、ますます重くなった。それらの荷物を下ろせた最期の瞬間だけは、心からの笑みを浮かべていたと、私は信じたい」(宮下氏)
※女性セブン2019年6月27日号