──他の2つの事件と何が決定的に違ったのでしょう。
山田:やっぱり、子供がいたことじゃないでしょうか。いたいけなものをちゃんと持っているのに、それを自ら失ってしまう。おじいさんを殺して財産をとること、子供という力を持たないものが附属でついていない女の人が起こした犯罪って、悪い意味で自立した犯罪だという気がします。でも、抵抗できない弱い者たちを巻き込んでしまうのは辛い犯罪であると同時にものすごく卑怯なこと。その卑怯さを自分もわかっているし、隣で奈落が待っているのがわかりながらSNSで幸せなふりを発信している。彼女はどうやってその恐怖を麻痺させていったんだろうか。そう考えると、どうしようもなく哀れな感じが漂ってしまいます。
〈蓮音は、自分を一所懸命、励ました。昔から、そうやって立ち上がって来たのだ。どうってことない。がんばるもん、私、がんばるもん。/けれど、ひとりの男の何気ない言葉で、再び力は抜けてしまい、どうにかしなくてはと思いつつ、既にもがく余力も残っていなかった。/「まだ、いいじゃん」/たった、それだけの無責任なひと言によって、蓮音は、子を捨てた母親になった。〉
──小説の中では、23歳の母親がホストのひと言で子供の待つ家に戻らなかった瞬間と彼女の内面が繰り返し描写されます。
山田:もちろん、子供を殺したことは残忍なことであり、同情の余地はありません。それでも、私はどんな極悪人でも、一点自分で許せる部分と惹きつけられる部分がないと書けないので、彼女にはそれがあったということですね。
──彼女自身が「いたいけ」だったのでは? 山田詠美作品に必ずといっていいほど登場する言葉です。
山田:それは私の習性で、必ず作品に出てくる言葉ですよね。「いたいけ」とか「後ろ髪引かれる」とか、そういうのが捨てておけない。今回の子供を置き去りにした女の人にも、私はひどく弱いものを感じたんです。
なぜこんなに子供を不幸な目に遭わせたんだという犯罪はいっぱいあって、同情の余地のない親もたくさんいます。たとえば野田の事件の母親は、ずっと夫が隣で支配していたでしょ。支配されて共依存すると、自分の考えを放棄して、何も考えなくなってしまう。それはある意味、楽だよね。だけど、置き去り事件の彼女の場合は、たった一人で半分正気を保ちながらどうしてあんなことができたのか。「ふたりの子供を放っておいてる」と思い出す瞬間の恐怖って、どれほどのものだったろう。
彼女の場合に限っては、一人きりで途方に暮れている姿が思い浮かんでくる。そこをきちんと書いて、私がもう一度物語の中で生き直させてやろう、そういう感じです。それは彼女に対する思いやりでもなんでもないけれど、この人の哀しさを書いてみたいと思ったんですよね。
インタビュー・構成/島崎今日子、撮影/五十嵐美弥
※女性セブン2019年7月4日号