そもそも、江戸時代に生きた人たちの寿命はどのくらいが平均だったのだろう。一般的に江戸時代の平均寿命は32~44才とされているが、これには“マジック”が隠されているという。
「当時は新生児・乳児死亡率が高く、生まれてすぐ亡くなる子供が多かったことで数字としての平均寿命は短くなっています。一方で、幼少期を乗り越えた人は長寿になることも珍しくなかったのです」(医療ジャーナリスト)
つまり、病気にかかることなく成人できれば、その先は現代に劣らないほど長生きできたということが真相なのだ。
しかも、「長く生きたい」というモチベーションが高まったのも江戸時代だったという。
「戦乱の世が終わって訪れた平和な時代だったため、社会も安定し、人々の生活も落ち着いたものになった。民衆も常に死と隣り合わせだった戦国時代とは一変、観劇やお伊勢参りといったレジャーが誕生するなど、生きることが楽しめる時代に変わっていった。そんな中で、『人生を満喫するために最も大事なのは健康』だと人々が気づき、長生きの秘訣に関する研究も盛んになったのです」(中村さん・以下同)
当時の状況は現代日本に非常に近しいものがある。中村さんが指摘する。
「戦争の時代が終わり、安定した世の中になった今の世は、江戸時代と状況が非常に似通っていると思います。江戸の世で健康長寿を成し遂げた人たちの暮らしぶりから学べることは非常に多いのです」
高齢者の暮らしぶりも、重なる点が多い。江戸時代にはある一定の年齢になると家督や仕事を子供に譲り引退する「隠居」の制度があった。現代でいえば「セカンドライフ」、当時はいわゆる「ご隠居さん」。隠居制度は明治まで続くことになるが、悠々自適に暮らしたり、趣味や新たな事業を始めるなど、第二の人生への区切りとして機能していた。
たとえば元禄期(江戸前期)に生きた松尾芭蕉は40才を前に隠居生活に入り、本格的に俳句を行うようになったとされる。『おくのほそ道』に代表されるその後の活躍ぶりはご存じの通り。死の直前まで旅を続けた。
また、千葉県出身の伊能忠敬は50才で隠居、なんとそこから江戸へ出て天文学や測量法を学んだという。幕府の命で全国の沿岸を測量し、「大日本沿海輿地全図」を完成させるという大事業を成し遂げている。享年73の大往生だった。
これらの人物は、まさに「生涯現役」を実現した。むろん年齢を経ても健康でなければ成し遂げられなかったはずだ。このような健康長寿が江戸の世に実現できていた背景には、医療の充実がある。
◆江戸時代の医療とは