下村の軍人としての履歴の一番の華は、この八年前、参謀本部第一部長という要職に就いた時であろう。支那事変勃発直後、前任者の石原莞爾は「事変不拡大」を訴えて、左遷された。陸軍作戦の実質的決定者となった下村部長は、家族に「今大きなことをやっているんだよ、お前たちも成功を祈っておくれ」と洩らしている。その「大きなこと」とは大陸の戦線の膠着状態を打開するための杭州湾上陸作戦の決行であり、南京追撃の容認であった。著者は昭和十六年七月時点での下村の「反省自粛」訓示に注目している。
最新刊『ある「BC級戦犯」の手記』(冬至堅太郎著、中央公論新社)には、その後BC級としてスガモに収監された下村の姿が出てくる。昭和二十二年正月の入浴時の一首。「獄の湯に老将の背を流しゐて我泣きにけり父を憶ひて」
※週刊ポスト2019年9月13日号