その怒りが、かたや信義に厚い警官、かたや心優しい板前として友情を育んだ「辰司と智士」の章からはひしひしと伝わる。悪辣な地上げに喘ぎ、ビルが建つ度に人々が分断される町の変化には、部外者でも義憤を覚えるほど。だが、〈罪は罪〉として、生温い共感には安住しないのが、貫井作品でもあった。
「例えば『必殺仕事人』も勧善懲悪ものではなく、金をもらって悪党を斬る仕事人もまた悪党として描いています。だから最後は必ず犬死したり酷い目に遭って、因果応報の大原則を僕らに教えてくれたように思う。
ただ最近は犯人側の事情にも一定の理解を示す優しい読者が多く、僕の見方はどうやら厳しすぎるみたいです(苦笑)。それで今回は『罪は罪だ』という意見と、『被害者も加害者もみんなが可哀そう』という意見を拮抗させる形にしたのですが、僕個人は断然、『罪は償うべき派』なんです」
その罪とは必ずしも違法行為を意味せず、ある人は〈今は、どこにも正義が存在しない。いくつもの不正義が罷り通っているだけで、どちらが正しいかは力関係によって決まる〉〈弱者が強者に歯向かおうとしたこと、そのことが罪なのだ〉と言い、またある人は〈罰されない罪があるから、納得できないんじゃないか〉と言った。その両方が切実な説得力を持つ中、罪としかいいようのない非相対的な罪の恐ろしさ、愚かさがまざまざと彼らに突きつけられる瞬間が、本書の白眉といえよう。