認知症は無気力も症状の1つで、食に興味を示さずに食欲が減退することがある。そのため、体は元気でも食事を摂らなくなってしまうケースも、珍しくはないという。
「母は認知症です。点滴治療をすると、自分で管を抜いてしまうことがあります。経管栄養を行う場合は、管を抜かないように、手を縛りつけることになると…。
そこまでするのか、それとも口から食べられないなら経過を見守り、“穏やかな死”を待つか。今すぐのことではなく、今後どうするかという話だったのですが、突然のことだったので頭の中が真っ白になってしまいました」
つちやは母の手を握りながら一緒に聞いていたという。
「食事が摂れていないのは事実なのだけれど、目の前の母はいつものようにニコニコしているし、こちらの問いかけにも反応はしてくれます。特にやせてきたわけでもない。そんな母の様子と『延命治療』という言葉のギャップには、違和感があって、どこか現実じゃないような話をしている感覚もあったんです」
本人の前で生と死にかかわる選択を迫ることへの憤りもあったはずだろう。
延命の問題を含め、治療方針について介護施設側と本人を交えて話し合うことは「人生会議」と呼ばれている。残された人生をよりよく生きるため、終末期医療に関しても、本人の意思を尊重すべきだという考えのもと、厚労省もこれを推奨している。ホーム側の対応も、そうした手続きに即したものだろう。
とはいえ、心の準備がないなかで判断を迫られても、即答できるものではない。
「母の意識がはっきりしていて、本人と相談できればいいのですけど、それは難しい。私が顔を見せれば笑ってくれるけど、治療方針について話し合うことはできません。
縛りつけてまで経管栄養を施すのは本人としてもつらいかなと思ったので、『延命は必要ありません』と伝えようとも考えたのですが…。でも目の前の母の笑顔を見たら、それもできなくて。結論は持ち帰ることにしました」
◆母の昔からの喜びが決断の決め手
延命治療という言葉から母親の死を現実として意識することになったつちやは、その日から仕事も手につかないほど落ち込んだという。事の次第を7才年上の兄に相談してみるも、「延命治療はいらないと思うよ」とあっさりしたもの。つちやは気持ちを整理できずに、ひとり悶々とする日々が続いた。
『母と延命治療』のタイトルでブログへの書き込みを行ったのはこの頃だ。膨らむ不安を誰かに知ってもらうことで、少しでも紛らわせたかったのだという。
ホーム側から説明があってから3日後、その後の母の様子を知るためホームに連絡を入れたつちやは、スタッフの言葉を聞いてさらに苦しむことになる。
「あれからまだほとんど食べることができていない、とのことでした。これはもう、本当に決断しなければいけないと思いました」
そこから1日が過ぎ、2日が過ぎた。どうしようもないほど追い詰められた気持ちになった時、ホームからつちやの携帯に連絡が入った。