事件発生数日後にその川柳の作者、保見光成(69)は山中に潜伏しているところを機動隊員に発見され、逮捕に至る。のちに非現住建造物等放火と殺人の罪で起訴され、今年8月に死刑が確定した。私が初めてその集落に取材に訪れたのは、事件から3年半が経とうとする、寒い冬だった。
半数以上が高齢者のいわゆる限界集落。事件でさらに人口が減り、数えるほどしか人が住んでいない。一軒一軒まわり話を聞くと、こんな声が聞こえてきた。
「うちの後ろに火をつけられたことがある。その2、3日後に貼っちょったね」
「貼り紙はだいぶ前に、あそこの家の風呂が燃えたあとに貼られた」
事件が起こる前に不審火があり、川柳はその後に貼られたのだという。だが、「思うに、その(不審火の)犯人は違うと思うんや」――皆が口を揃え、こう言うのだった。そのうえ、「何回かあったらしいよ」と、不審火は何度かあったとも。
多くのメディアは誤解していたが、この川柳は「犯人による犯行声明」ではなかった。ある村人の家で不審火が起こったあとに貼られたものであり、しかもその犯人は保見ではない、というのである。
こうした情報に触れ、私には“村での噂”をさらに取材したいという気持ちが湧き起こった。その後、周南市を度々訪れた。
保見は、逮捕後に行なわれた精神鑑定を根拠に、事件当時『妄想性障害』にあったが、完全責任能力を有していたとして、死刑が言い渡されている。