「近隣住民たちが自分の噂や挑発行為、嫌がらせをしていると思い込むようになった」
判決ではそれらはすべて妄想だと認定された。たしかに、いくら取材を重ねても“挑発行為”や“嫌がらせ”は確認できなかった。むしろ、妄想性障害を発症した保見は、村人たちに「俺の家のものを盗んだだろう」「俺は薬を飲んでいるから人を殺しても死刑にはならない」などと食ってかかるようになり、村人たちを怖がらせていたフシがある。
ところが“噂”に関しては、保見の妄想ではなく本当に存在した。保見についてはかねて村中で“父親が泥棒だった”と言われていたようだ。
「今なら笑えるものを盗りよったらしいよ。まあ洗濯物とか、カボチャとかやね」
「米も洗濯物も盗られる。盗んで着るんじゃから、すぐわかるよ」
噂の対象は保見だけではない。わずか12人の集落で、村人全員の噂や悪口が飛び交っていた。
「あいつも泥棒じゃった」
「役場に勤めていた時から嫌われちょった」
「原発に反対しとるくせに、電気をたくさんつけとる」
「偉そうじゃから、話さんほうがええ」
なかでも村人たちが先の不審火の犯人と名指しする人物は、驚くことに今回の事件の被害者だった。にもかかわらず何人もの村人が、「保見が飼っていた犬や猫をその人が殺した、だから恨まれていたのだ」──次々にそう口にするのだ。
携帯電話も通じず、近代的な娯楽といえばテレビ程度。そんな環境で、村人たちは、保見だけでなくあらゆる噂話に興じていた。